PLANETEに戻る

Latest Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Barbaraのロッキングチェアー

情報・読み物 Barbaraのロッキングチェアーby Bruxelles 2004/12/13
参考資料・www.creatweb.com/moustaki、他

Barbaraの遺品の競売で、ロッキングチェアー(複数あったと思われる)いくらで売れたか?Le Parisienの報道によると20万フラン。これが見出しになっている。Barbaraのファンでこのロッキングチェアーを知らない人はおそらくいないだろう。

ムスタキが「La dame brune」を書くずっと前から、二人は61年当たり、今に比べればごく一握りだけれども非常に熱心なファンがL'Ecluseにバルバラ目当てにつめかけていた頃に、知り合っている。お互い新しい曲ができれば、夜の何時であろうとお構いなく電話をかけ合って、歌って相手に聞かせていた。
「La dame brune」の頃でさえ、ムスタキの家にはTVがなかったのだから、それより前なら、ムスタキの家には、何があったのか?ムスタキのあばら家にはBarbaraを心地よくさせる物は実は何もなかった。そこでムスタキ、Barbaraを迎えるに当たってロックングチェアーを買った。買ったのはムスタキだが、そのチェアーはBarbaraの居場所になり、そこがBarbaraのテリトリーになり、Barbaraの所持品になった。それを知って、他の誰も、あえてそこに座りたいとか、座ろうとかはしなかった。ロッキングチェアーはBarbaraの訪問を待つ、ムスタキの心情の象徴になっていた。

BarbaraがPrecyに引越し、ムスタキも海外ツアーが多くなり、現実に会うことは無くなっていく。年月が過ぎL'Ecluseも店を閉めた。連絡は電話やFaxだけになる。
見捨てられたロッキングチェアーは、来ぬ人を待ちながら、絶望的な表情を見せ始める。ムスタキ一大決心をしてそれをBarbaraに言った。
「ロッキングチェアーさんに言っておいて。また座りにいくから」とバルバラ。

約束を破るのは初めてのことだけれど「彼女はもう来ないよ」と、一体どういう風にロッキングチェアーに伝えようか、今ムスタキは悩んでいる。(参考:「France-Soir」日付不明)

ムスタキが買ってくれたロッキングチェアー、バルバラはとても気に入ったのだろう。Precyにもステイジにも、それはあちこちに登場して、メガネやピアノと共に彼女の生活のシンボルにもなっていく。
ムスタキがバルバラのために1969年に書いた「Moi、je me balance」は、それを思えば、実はムスタキとバルバラだけがわかる、ムスタキの家にある、元祖のバルバラ・ロッキングチェアーの歌だった、ということがわかる。

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://musiccrosstalk.blog7.fc2.com/tb.php/43-92dff658

«  | HOME |  »

2017-08

  • «
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

Bruxelles

Bruxelles

FC2ブログへようこそ!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。