PLANETEに戻る

Latest Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私自身のためのシャンソン(4)

情報・読み物 私自身のためのシャンソン(4) 2004/10/23
スカウトした秘書も羽ばたく

Francoise Loが最初にBarbaraに見せた[Sans Bagage」では「戻って来るときは旅行かばんを手にとって」となっていた。バルバラはここを逆にしようというアイデアを出した。結果「戻って来るときは旅行かばんを持たないで」(Quand tu reviendras ne prends pas tes bagages)となる。当サイトのカルトクイズにも登場しているこの人は,他にも「Toi l'homme」「Les mignons」「Septembre」「Tous les passants」をバルバラに提供している。また「La Barbara que j'ai connue(私の知っているバルバラ)」という著作もある。GainsbourgやReggianiと一緒のコンサートを企画したのも彼女である。1966年には自分自身歌手にもなりその後数枚のアルバムを出している。さらにそれまで男性の領域だった音楽監督(CBS)に就任する。
また彼女の作詞による「Pluie et whisky」(Mercury135710MCY)はEVAが歌い、隠し味にBarbaraのtibidibidiが入っているらしい。
またピアフの死後落胆しているシャルル・デュモンを立ち直らせたのは彼女の詩作品であった。67年彼に「Ta cigarette apres l'amour 夜明けのタバコ」(一度はバルバラに見せたがふさわしくないと判断した)を提供している。
余談だがこの曲67年から数年間歌詞がきわどいという理由やアンチ・スモウキングキャンペーンのせいでTVやラジオで放送禁止となってしまう。Simone WEILの尽力で解禁となる。71年Francoise Loは独自の判断でCBSではなくEMIからこの曲を収録したアルバムを発売させる。これは人気が出て「インティメートIntimite」というタイトルでピアフ没後10周年記念盤として日本でも東芝EMI(EOP80836)から発売された。

カルトクイズのヒントにも記したが、Anne SYLVESTREの秘書であった彼女をバルバラが「あなたは私のこと嫌いでしょうけど、私の仕事を手伝ってほしいわ」とジカにスカウトした話は有名だ。Anne SYLVESTREはこの時快く了承しただけでなく、Francoise Loが羽ばたいた後、新しいバルバラの秘書に、今度は自分の姉妹Marie Chaixを与えている。この人も1986年と1998年に「Barbara」という著作を出版している。彼女は作家として75年と85年に別の分野の書物も出版している。Anne SYLVESTREとBarbaraは50年代後半「シェ・モワノー」で同時期に出演していたので,かなり古いお友達なのだろう。

「A la rose」に「Sans Bagage」を提供した秘書のFrancoise Loは次のアルバム「BARBARA」では11曲中なんと4曲に歌詞を提供している。「Septembre」「Toi l'homme」「Les mignons」「Tous les passants」。Claude Dejacquesといい、このFrancoise Loといいこの時期のBarbaraのパートナー選びは冴え渡っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

L'Ecluseにいる長い間、いつかここを出て羽ばたきたいと思っていた。Leo Noel,Marc Chevalier,Andre Schlesser,Brigitte Sabouraudは1964年春、私がここを去ることを了承してくれた。当時出演契約といっても、ほとんどほかには無かったのだけれど。

L'Ecluseを去る日が近づいてきた。そしてついにその時が来た。私は永遠にL'Ecluseを去った。楽しかった。ここで本当に多くのことを学んだ気がする。後にパンタンで3000人の聴衆を前に歌えることになったのは、他でもないL'Ecluseを埋めた70人のお客様のおかげであると思う。
Andre Schlesser,別名Dade又はGitanは私にとってL'Ecluseの心そのもののような人だった。パンタン出演中のある夜、私は彼の死を知った。彼を愛した人たちを動揺させまいと彼はそのことを公にしていなかった。
いづれにせよ1964年のその日どうしてもどうしてもここでL'Ecluseを去るべきだと思った。
Le quai des Grands-Augustins(レクリューズのあった場所)が遠のいていく。私は旅立ったのだ。
(「Il etait un piano noir...」P.154&P.163)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バルバラのL'Ecluseの最終日は1964年2月11日。後をSerge Lamaが引き継いだ。くしくもラマが成人となる誕生日だった。同じこの2月から録音を始めた「私自身のためのシャンソン」は、同年9月についに発売された。
退路を断った大きな賭けに挑む一枚だ。


コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://musiccrosstalk.blog7.fc2.com/tb.php/20-d77a717f

«  | HOME |  »

2017-10

  • «
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

Bruxelles

Bruxelles

FC2ブログへようこそ!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。