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L'Olympia劇場(2) Jean-Michel BORIS

参考資料:rfimusique.com,2004年1月6日(Paris)、Julie Street記者によるJean-Michel BORIS氏へのInterview記事。
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Bruno Coquatrix氏はJean-Michel BORIS氏を若いうちから、いはばスカウトしてミュージックホールの経営をイロハのイから教え込んだ。BORIS氏は1959年にオランピアのartist directorに就任した。1979年Bruno氏の死によってBORISの従姉妹のPatricia Coquatrixが共同経営者に就任する。

Juli Street::どういういきさつでおじさんと仕事をすることになったのですか?
Jean-Michel BORIS::もともとは医学校に行くつもりだったんですが、休暇中にPauletteおばさんの所に行ったんです。’54年です。一ヶ月そこにいてさんざんBruno伯父さんに口説かれたんです。医者になるよりいいぞって。ついに家に帰ってBruno伯父さんの下で働くことになったって母に告げました。
J.S.::もともと音楽が好きだったんですか?
J.B.::クラシックとジャズが大好きでした。53年にBrassensを知って大ファンになりました。Brassensのコンサートに行きたくなって。そのころ彼がオランピアに出演することになっていて。僕がParisの伯父さんのところで仕事をすることに決めた大きな動機でしたね。大好きなBrassensに近づけると思って、この仕事を引き受けました。
J.S.::Bruno Coquatrixがいなくてもオランピアは今のオランピアであり得たと思いますか?
J.B.::いいえ。オランピアはBruno伯父さんが作りました。あの場にエネルギーを注ぎ、伝説を作り、奇跡を起こしたのは彼です。Bruno CoquatrixとL'Olympiaは一体です。
J.S.::人間としてBrunoはどんな人でしたか?
J.B.::占星術でいうと獅子座なんです。その通り、権力と権威を備えていました。ある意味専制的なところもありましたが、Olympiaのようなホールを運営するには不可欠な要素です。やる気のある人で、朝やってくるとまるでライオンのように充電満タン、やる気満々でした。かれの権威主義的なところを人々は尊敬していました。同時にまた彼のブルーの瞳に魅せられてもいました。氷のように冷たく同時にまたやさしさに溢れている独特の瞳でした。彼はオランピアという仕事場で常にギャンブルをしていたんです。
J.S.::Brunoの下働きから実際自分で契約をとるようになるまでは、どのような経緯があったんですか?
J.B.::Brunoは一から仕事を教え込みました。ゼロから覚えなければなりませんでした。ショービジネスとはなんぞや、その舞台裏。まず電気系統を学び、次に照明、音響、そして経営を学ぶ前にステイジマネジャーを務めました。Brunoが僕がもうブッキングが出来るようになったと判断した時から、Musicorama(フランスのラジオ局Europe1にオランピアからライブショーを届けた番組)のROCKとJAZZのブッキングを任されました。その後に大スターの前座の歌手なんかのブッキングを担当しました。人選は完全に私の意志に任せてくれていました。成功したのも、失敗したのもありましたけどね。
J.S.::オランピアは人気が出る前の可能性のある歌手を見つけ出してきましたね。Jean-Michel、あなたはThe Beatlesになる前のThe Beatlesを出演させました。無名だったJimie Hendrixも発見しましたね。あなたにはスターを見つける才能があるのでしょうか?
J.B.::この仕事は言わば、直感が勝負なんです。音楽性を嗅ぎ付ける力と、人間心理を読み取る力と、両方が必要なんです。新人を見つけるために他のコンサート会場や店にもよく足を運び、常に新しい人材をウォッチしていました。そしてそれをBrunoに告げていました。The Beatlesもそうして見つけましたし多くのシャンソン歌手たち、たとえば、Claude Nougaroもそういう風にして見つけました。でも1979年にBrunoが亡くなった時は、多くの人はこれでオランピアもお終いかと思ったようです。
J.S.::Gilbert Becaudが最もL'Olympiaには関係の深い歌手ですね?
J.B.::この関係はBrunoとGilbertの友情そのものなんです。GilbertはBrunoの親友のJacques Pilsのピアニストだったんです。1954年にBrunoがオランピアをスタートさせた、Gilbertはちょうど歌手のキャリアをスタートさせたばかりでした。翌年55年にもう一度呼び戻した時は、Gilbertは大ブレイクしていました。初日のマチネーの時、3000人の若者が列を成して道路に溢れていました。会場に入ったら、熱気が爆発していました。あのときがオランピアの椅子が壊された最初でしたよ。Gilbertは27回出演しました。まずはBrunoとの友情、それから、Gilbertは真にこの劇場が好きになってもいたんです。彼のオランピアへの思い入れは強くてついに「僕のオランピア」という歌までレコーディングしましたよ。
J.S.::オランピアの座席が剥ぎ取られるというのは、有名な話になりましたね。
J.B.::数でいえば、James Brownの時が一番ひどかったですね。彼は3回続けて公演しましたが、最初から最前席が倒れました。どんどんエスカレートして。次の日はTom Jonesで、僕らは徹夜で修理したり、並べ替えたり。Tom Jonesを聞きにくる人たちがちゃんと座れるように、実は近くの映画館から何列か分の座席を借りてきました。
J.S.::Olympiaに幽霊が出るって?
J.B.::BrunoとGilbertはここにいますね。ほかにはBrel,PiafそしてBrassens,Trenet,Ferre、みんなここ、Olympiaにまだいるんですよ。夜に時々ステイジに上がるんです。みんなが帰った後。電気も消えて安全ランプだけがポツンとついている状態です。その時僕は感じるんです。この劇場は生きている、この劇場は本物の魂を持っていると。


bruno piaf

BrunoとPiaf PiafがOlympiaの経営危機を救った事もあった。

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