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BarychinikoffとBarbara

BrychnikoffからのリクエストがあってBarbaraは1986年6月28日(金)ニューヨーク行きの飛行機に乗った。New YorkのMetropolitan劇場でBarbaraがPierreを歌いBarychnikoff(Micha)がそれを踊るのだ。
・・・・・・・・・・

7月1日(火)午後Pierreのリハーサルをしながら私はBarychnikoffが文字通りシャンソンを飛ぶのを見た。今日目の前で行われていることが、信じられなかった。母が生きていれば、この場面を見せてあげたかった。
Michaの望むように心を通わせて歌いたかった。私はもう一人Maurice Bejartとも素敵な出会いをしている。BejartにしてもBarychnikoffにしても私にとってダンサーとの出会いは、とても大きな意味を持つ。

Michaは自分の家においでと言ってくれた。私はホテルにいるほうがいいと言った。私は好きな人の世界に近づくことにいつも臆病なのだ。私が断るとあまりにMichaが面食らった顔をしたので、ついに私は申し出を受け入れることにした。
活力に満ちた美しい家で、扉という扉は全部常に解き放たれていた。彼はそこで暮らしていた。
私が着くやいなや、彼は小さなCASIOのキーボードで、私のレパートリーのすべてを弾いた。私は度肝をぬかれた。彼は私に私の歌を口ずさみながらフランス語をマスターしたと言った。
Billy(?)がMichaがステイジで何度も履いた3足のバレーシューズをプレゼントしてくれた。Billy自身もくつろぐ時は、Michaのバレーシューズを履くのだと言った。
Barychnikoffが履いて踊ったバレーシューズを履いてくつろぐことなど、誰が想像できようか。
私はいただいたバレーシューズを持ち帰った。一度も履いていない。まるで熱烈なファンの人たちがするように、大切に特別にとってある。
(「Il etait un piano noir...」P.185~P.187)
・・・・・・・・・・

BarbaraをBarychnikoffに紹介したのはMichel Colombierだった。
ある日Michel Colombierは「君にはアメリカンドリームのようなものはあるか?」と聞いたことがあった。それに対し「歌うこと」というただひとつの夢以外、私にはない、と答えたとBarbaraは書いている。

New York、Metropolitan劇場においてのBarbaraとBarychnikoffの共演は様々な雑誌にも取り上げられた。また機会があれば、そのあたりについての記事もいつか訳出してみたい。(Bruxelles)


追記:
1977年20世紀フォックス配給の「愛と喝采の日々」。私はこの映画、特にEmma(Anne Bancroft)とDeedee(Shirley MacLaine)がハンドバッグで殴りあうシーンを見て驚いたが、全体的にバレーシーンも多くあり、ストーリー的にも内容が深く、いい映画だったと思った。Mikhail Baryshnikovがこの映画に出演していた。ご覧になった方も多いと思う。

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