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Jacques Serfの行方と心情 (2)

Nantesの街角の喫茶店で四人の男達とBarbaraは会う。
「彼は、家族に捨てられたのだと言ってましたよ」
「それは違います。父が私達を捨てたのです」・・・
この違いは何処から来るのだろう。本心では家族と離れたくは無かった。しかし居辛くなった、と言うことだろうか。
NantesでBarbaraは父Jacquesの最後の世話をしたというシスターにも会う。
「お約束ですから、何も申し上げられません」とシスターは言う。
おそらく父Jacquesは彼の罪をこのシスターに懺悔してこの世を旅立ったのだろう。


歌詞では父は娘に会いたがっているが、実際は誰にも連絡してくれるなと、誰にも何も言ってくれるなと、言い残している。
Barbaraは「あなたを許します」と父に言えなかったことを悔いているが、父はそんな言葉を露ほども欲していなかっただろう。
父は一人で、共同墓地に一輪の献花もなく葬られる。それこそ父Jacquesが望んだことだと私には思われる。
生前娘に異様に執着した男であればこそ、それが男にとっても、娘にとっても理想の死に方だった筈だ。

TVの中に歌手として出演している娘を見て、思わず「あれは、オレの娘だ!」と叫んでいる男の心情を想像してみよう。
この喜びとバランスを取るためには、自分が転落し惨めに死ぬ以外に、人生を完結する方法は無いと、おそらく彼は知っていたのだろう。それが彼の懺悔であり、最後の唯一の祈りであった筈だ。
そしてその死を、さらに完璧にするために、Barbaraはたった一人で父の死を背負おうとする。
これ以上の愛情表現が他にあるだろうか。
人が人生を完結させるためには、その死を背負ってくれる生者の存在、生者の側の愛、生者の肩が、必要なのだ。
この父と娘の心情は、当人さへ感知できないほど深い部分で、実は呼応し続けている。
それが無ければ、少なくとも名曲Nantesは決して誕生しなかった筈だ。

Written by Bruxelles
参照: 「Barbara」 par Valerie Lehoux P.48~P.50
参照: 「Nantesの成立過程」-PLANETE BARBARA

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Jacques Serfの行方と心情 (1)

家に一人でいる時に突然ナントの病院から電話がかかってきたことは以前に書いた。
姿を消して10年。
父にレンタルしてもらったピアノの費用も支払えなくなり、業者が引き取りに来た。身体の一部をもぎ取られた思いだったとBarbaraは書いていた。
父をなくしピアノを無くし、未来を描けなくなったBarbaraは、一人ベルギーへ、Bruxellesへ、家出を決行した。
喰うや喰わずの生活の後、一時は街で身体を売ろうと決心して歩き回ったこともあった。後を付けまわして来た男、最初の客になりかけた男が、偶然、人間の心を目覚めさせて話を聞き、空腹のBarbaraに食事とお金を与えてくれた。
Barbaraは娼婦に対して非常に強い理解を示している。(愛の行為に対してBarbaraは独自の思考があるので、詳しくは別の機会に書いてみたい。)
おそらくこの時の経験が(彼女達)の側にBarbaraを引き寄せているからだろう。
家出少女は父が放浪している10年の間に既に歌手になっていた。

さて、今日の最初の調査はBarbaraは父がNantesにいることを、前から既に知っていたかどうか、だ。

一家はRue Vitruveに暮らしていた。ある日父Jacquesは職を無くしふさぎ込むようになる。母Estherは最愛の母を亡くしまだ悲しみに浸っていた。夫婦間に引き返せない亀裂が生じていた。
1949年のある日、父Jacquesは突然姿を消した。
どこへ行ったのだろう。

戦時中一時一家がいた、Saint-MarcellinのホテルServeにJacquesは現れる。1950年のことだ。ロイヤルゼリーのセイルスマンをしているということだった。
Madame Serveの証言: 1日、1日半、このホテルにいました。お金は全く持っていませんでした。少し都合してさし上げました。本当に貧窮しておられたので。とても悲しそうで酷い状態でした。「ひとりぼっちになった」と言っていました。どうしてそうなったのか質問しませんでした。ー
(ホテルServeに関して:スター歌手になったBarbaraも、ツアーの途中、ある日遠回りして、運転手と秘書をメルセデスに待たせたまま、ひとりでこのホテルServeを訪れる。「私よ、Moniqueよ、ここにいたMoniqueよ」とMadame Serveに叫ぶ。詳しいことは「Mon Enfanceの成立過程」としていつか記事にしようと思っている。)

父JacquesはNantesには数ヵ月後に現れる。証言者により、浮浪者のようだったとも、港湾労働者のようだったとも、船会社の会計係だったとも言われている。
Nantesに於いてもすぐに友人を見つける。毎晩ポーカーをするあの男達だ。Jacquesは友人達から「Monseigneur(大将)」の愛称で呼ばれていた。Jacquesは立派な押し出しを持ち、尊敬される品位を身につけていたのだろう。
Barbara自身は父がNantesにいることを知らなかったと言っている。そんなことは無い、とSophie Makhnoは否定する。
Sophie Makhnoの証言: 全くの偶然があって、実はBarbaraは父の居所を知ったのです。Pathe-Marconi(レコード会社)の社員がナントの港にある店で一杯飲んでいたんです。そしたら店のTVにBarbaraが映ったんです。その時、店の中にいた男が「あれは、オレの娘だ!」と言ったんです。その社員がBarbaraにお父さんの居所を教えたんですよ。勿論その日からBarbaraはその社員と口をききませんでしたよ。ー

では次は、Barbaraはいなくなった筈の父に、再度会ったのかどうか?


これは以前にどこかに書いたと思うが、
Hubert Ballayの証言: 50年代の終わりに僕達はよくデイトしました。その当時彼女はお父さんのことばかり言っていました。お父さんがいなくなった後、何度も父親を家の近くの野外ベンチで見かけたと言っていました。既に変わり果てていたので、彼女以外の家族は、父を見ても、誰も父だと気づくことは無かった、と言っていました。ー
もう一人は
、今回Valerieの「Barbara」で初めて証言したJacques Vynckier。(このJacques Vynckierは例の「Atelier 1954」を、新発売されたばかりのアメリカ製テイプレコーダーで録音していて、Barbara最古の歌声を、去年CD化することに尽力した当人だ。)
Jacques Vynckierの証言: 1954年か1955年だったと思う。ParisのSaint-Michel通りをBarbaraと食事に行こうと静かに歩いていました。いきなり彼女が私の腕をとり私の影に隠れようとするんです。完全に怯えていて「私を隠して、私を隠して。顔をあわせたくない人がいるの」と言って。もうショック状態で、それまでそしてその後もこんなに取り乱したBarbaraを見たことはありません。しばらくして言いました。「お父さんなのよ。あれが」
私は何も質問しませんでした。ー


(続く)

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