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Monsieur H (つづき)

Hubert Ballay par Gilles Schlesser
出典:La Lettre des Amis de Barbara No.29
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GS :別れた原因は何ですか?

HB :僕はAbidjanに彼女はParisに、つまり5000キロ離れて暮らしていました。彼女は歌手としてこれからという見通しがついて展開していこうとしていました。僕には彼女の歌手としての人生を断ち切る権利はありませんでした。二人は愛し合っていましたが、現実的に愛し合うことは不可能でした。本当なら100年も続く筈の恋でした。しかし現実の前に、実際は2年半続いて終わりました。お互い納得してやむを得ず、別れました。友達としては会い続けましたよ。’65年までくらいはね。65年と言うのは僕がParisに戻った年です。Barclayの部長の職に就いた年です。勿論会社は僕がBarbaraを昔から知っていると知って、彼女に会うように望みましたよ。でもね、僕はBarbaraに言ったんですよ、Philipsを離れるなよって。

GS :彼女の歌手としてのキャリアにどんな影響を与えたと思いますか。

HB :初めのころBarbaraのレパートリーは、ブレル、ブラッサンスでした。それはそれでよかったのですが、彼女は女性ですから、自分自身の表現ではないわけです。僕がアドヴァイスしたのは、自分自身の曲を書くこと、独自のスタイルを作り、独自の世界を打ち出すことです。そのために僕と一緒にいる時は、一緒にその目的のために努力しました。彼女と一緒に僕は作曲も作詞もしました。でも決してSACEMに共作者として名前を出したいとは望みませんでした。ナント、たとえば、ナントは二人で作詞作曲した曲です。

GS :と言うことはお父さんに関することを聞いていたのですね。

HB :はい。と言うのはVitruve,彼女が住んでいたあの場所に時々、その窓の下にやってきて座っている一人の男性がいたんですよ。僕はその人をよく見かけましたよ。Barbaraはそれが父親だと、知っていました。けれど、ほかの家族は誰も気づきませんでした。Madame Serf(バルバラの母)も、その男に目をやっていましたが、わからなかったのです。そのベンチに座っている浮浪者が自分の夫だと、もはや、わからなかったんです。

GS :Barbaraはあなたとの女としての愛の人生よりも歌手としての自分の夢を選んだのですか。

HB :はじめは全くそんなことはありませんでした。僕たちが出会った頃、L'Ecluseでデビューした頃は、彼女自身自分がこれほどのスター歌手になるとは夢にも思っていませんでした。彼女が歌手としての人生に集中していくのは、レコード会社が次第に歌手としての彼女に注目し、売り出そうと力を入れ始めたからです。

GS :彼女との別れに、あなたは苦しみましたか?

HB :別れたことは、お互い納得してわかれたので、そのことでは全く苦しみませんでした。僕が苦しんだのは、それゆえにもう会えなくなった事実にです。時々彼女はその後も僕に電話して来ました。特にうまくいかずつまずいた時に。昔のように、僕たち二人のことについて、何か話すということでは、もうなくなっていきました。
'86年からは、もう関わりもなく会ってもいません。(終わり)
・・・・

Gilles SchlesserによるHubert Ballayへのこのインタビューは2007年1月に、Les Amis de BARBARAのために特別に行われた。
Hubert BallayはBarbaraと知り合った当時コートジボワールに滞在する外交官であった。ここにあるようにBarclayの重役にもなっている。起業家でもある。作家でもあり、作曲家でもあり、シナリオライターでもあり・・・とつまり多才でおそらく魅力的な人物であったことがわかる。
60年代Barbaraはリサイタルで「Dis Quand Reviendras-Tu?」を歌う時次のような言葉をささやいていた。
「以前は、私は他人の曲ばかりを歌っていました。ある日十字軍の遠征に出発していったある男性に、自分自身のシャンソンを書くチャンスを与えられました。そして自分のこの曲を書きました。その曲のタイトルは・・・」と言い、そしてタイトルを言うことなくピアノを弾き始め「Dis Quand Reviendras-Tu?」と歌いだすのだった。

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父親は飛び出したまま、家族を捨てて自由奔放に無責任に放浪していたわけではないことがわかる。家族と生きることに力が尽きたのだろうか。それともBarbaraへの罪悪感から、去らなければならないと思って出て行ったのだろうか?
ナントで死んだ父は、あの世から全力でBarbaraを見守ったのではないだろうかと思われる。母に走り書きを残し、たった一人でナントに向かったBarbaraの気持ちがすこしづつわかってきたような気がする。
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Monsieur H

Hubert Ballay par Gilles Schlesser
出典:La Lettre des Amis de Barbara No.29
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GS :Barbaraに関する本では、あなたはいつもMonsieur H.ですね。バルバラの恋人、彼女が「いつ帰ってくるの?」を歌った相手だと知られています。「どうして帰ってこなかった」のですか?そもそもどのように出会ったのですか。

HB :一番最初に彼女を見たのは、Saint-Michel。夕方。La Boule d'Orという店で。多分56,57年。Dade(Gilles Schlesserの父)と一緒にいるとき、彼が彼女を紹介した。これからL'Ecluseで歌う歌手だって。Dadeは仕事があって、そのとき僕がBarbaraを食事に誘った。Saint-Andre-des-Arts通りの店。それが最初。彼女はベルギーから戻ってきていてVitruveにとまったり、ホテルに泊まったりしていた。特にrue de Seineのホテルによく泊まっていた。僕たちは非常に気があったんだ。すぐに彼女は心を割って自分の人生を語ってくれたよ。家族のこともね。そして弟のClaudeを助けてやってくれないかとも頼まれた。そんなわけで、彼女のお母さん、妹、弟に会った。Vitruveの家でね。それから僕がまたアフリカ(コートジボワール)へ行った。59年か60年の初めParisに戻った時に、彼女との本当の恋愛が始まった。イタリア、スイスに二人で旅行した。その短い旅行中に「Dis、quand reviendras-tu?」ができた。僕はアフリカに、Abidjanに戻らなければならなかった。そのとき彼女が聞いてきた。「ねぇ、いつ戻るの」そして「私は船乗りの妻の貞操を持ち合わせてはいないわ」って言った。「あなたを愛して愛の苦しさに死んでゆくつもりはないわ」って言った。僕は彼女にもう一回言ってくれって言った。僕はそしてあの歌詞を書きとめた。もちろん後で彼女が手を入れてまとめた。二人で書いたのは他に「J'entends sonner les clairons」それと「Pierre」の一部をね」

GS :それから彼女もAbidjanに仕事で行きますね。

HB :そう、ただ書物に書かれているようにL'Ecluseの一団として来たのではない。僕はJo Attiaを知っていて、レジスタンスの時に出会った友人でね、シャンソン狂で。このAttiaがAbidjanに「Le Refuge」というキャバレーを買ったばかりだったんだ。それでアーティストとの契約を始めていた。僕はBarbaraという若い歌い手がいるけれど、どうかと提案したんだ。Jo AttiaがOKを出して、Barbaraがやってきた。キャバレーの経営者としてだけれど、彼はBarbaraにぞっこんになったんだ。
彼が銃を手に客席に向かってこう言ったのを思い出すよ。
「この子が歌おうとしている時にもししゃべり出す奴がいたら、弾をぶち込むぞ」ってね。彼女はそこに3週間いた。そしてParisに帰っていった。それから彼女が僕に手紙を書き始めた。一日に一通。だからこうして200通受け取ったんだ。その200通はどこかへ消えて、どこへ行ったかわからない。
僕がParisに行く時は僕の場所が必要だった。だからRemusatに家を買っていたんだ。彼女にその家を自由に使わせていた。そしてそこに彼女のために白いピアノを買ったんだ。それと例のロッキングチェアー、家具などなど。彼女はそこを新しい住居とした。ただ、そのころから二人の関係が先細りしていった。(つづく)

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彼はBarbaraに住居と白いピアノを与えた。
Barbaraはどんなに嬉しかったか。Barbaraの状況を考えれば、充分想像できる。私からさえ、このHubert Ballayに「ありがとう」と言いたいくらいだ。Barbaraは自伝にもRemusatの家、自分のアパルトマンを手に入れた喜びをはじけるように書いている。愛する人からなら、鉛筆の一本をもらっても嬉しいのに、自分の一番手に入れたいものをもらったのだから。ただ白いピアノ、Barbaraがほしかったピアノが、Barbaraの自伝によると、結果的にはHubertの嫉妬を喚起し、決別の決定的原因にもなるのだ。

Hubertは歌手としてのBarbaraにどのような影響を与えていくのか、続きをお楽しみに! (Bruxelles訳)

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