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Barbara ecrivait ses memoires

Paris発11月25日(火)AFP通信Paris時間12:12

Neuilly-sur-Seineの病院で昨日亡くなった歌手のBarbaraは”思い出の記”を書いている途中であったことが、Fayard社社長のClaude Durand氏とのインタビューで明らかになった。
「Jacques Attaliの紹介でした。ステイジをやめてファンとのコンタクトが無くなったので、今度は書くことによってコンタクトしようと彼女は決心しました。書くことは彼女にとっては初めての経験です。」
「Barbaraの文体は独特で、息遣いが感じられ、色彩的で表現力豊かで、時にやさしく時に激しく、明快で彼女のシャンソンそのものです。」
「毎朝ファックスで出版社に書いた分を送ってきました。30分後には僕が受け取った返事を出しました。毎日の対話のようになっていました。彼女は何度も書き直しをするし、ある文章を書くのに一度に7,8パターンを書き送ってくることもありました。」とClaude Durand氏は語った。
「完全に人生を時代に沿って書いたものではありませんが、その”思い出の記”は、L'Ecluse時代、デビュー当時の売れない頃、「ナント」を生んだ実父の死、出会い、感情などが書かれています。出会いは有名人だけではなく、バックミュージシャンや音響技師他、無名の人達にも区別なく触れています。」
BarbaraもClaude Durand氏も本のタイトルは未決定のままで「なにしろ未完なので実際に出版するか否かについては、遺族の方々との話し合い次第ということになるでしょう」と語った。(Bruxelles訳)
・・・・・・・・・

実際1998年に出版されたその本の巻頭には、出版するか否かについてその決断にいたるまでに幾たびかの葛藤があったことが「Claude, Regine et puit Jean」というBarbaraの兄弟達の名において記されている。
流れに沿っているのは1964年までで、あとは編集者を戸惑わせる短い文を寄せ集めた断章である。次第に細部まで書き込まれ始めた文章は1964年で中断している。その後気力を振り絞って思いつく限りを書こうとしたのだろう。何にぶつかったのだろうか。何故書く気力を無くしたのだろう。Barbaraの自伝はつまり、2度中断されているのだ。歌手Barbaraが広く認知されるのは1965年のBOBINOからと言える筈なのに。日本人ファンとしては、Barbaraが立て続けにレコードをだしたあの1970年代前半、その頃の生のBarbaraの姿を是非書き残してもらいたかったと望むのだけれど。(Bruxelles記)
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