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Barbaraの葬儀に2000人がつめかける(3)

Paris発1997年11月27日(木)REUTERS通信:Paris時間午前11時44分

歌手Barbaraの葬儀がParis近くのBAGNEUXで木曜日の朝行われ、およそ2000人がつめかけた。
灰色の空の下、午前11時前にはBagneuxの墓地に群集が集まった。日曜日の夕方Neuillyのアメリカン病院で亡くなったBarbaraの近親者は極めて内輪の葬儀を希望していた。

一方、Barbaraが数年前から暮らしていたPrecy-sur-Marneの市役所では、記帳が行われていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Reutersでは15年とも20年とも書かず数年前となっている。正確さを期したあいまいさ。
Barbaraファンなら誰も思い出したであろう「私の埋葬式に(Y'AURA DU MONDE)」という曲。

・・・・・・
Je vous m'en souvenir longtemps
de l'heure de mon heure derniere
Et lorsque je serai couchee
Au dedans de la bonne terre
Pour vous tous que j'ai tant aime
Durant cette vie toute entiere
Si vous entendez tin tin・・・
Ma derniere petite chanson
Surtout n'en ayez pas de peine
C'est pour dire ,adieu, je vous aime
Le jour de mon enterrement
・・・・・・
私の一生の間に出会いそして好きになった
あなたたちのために
私は最後の時を長く記憶に留めたいわ
私が大地の中に横たわるその時
もしティンティンという音、
私の最後の歌声が聞こえてきたら
私がお葬式の日に
「さよなら、愛しています」と
あなたたちに言っていると思ってね。
何より、つらいなんて、思わないでね。
(Bruxelles訳)

前半は皮肉っぽく葬儀の偽善性をコミカルに歌いつつも後半は理想の葬儀を夢見て歌っている。人が死の直前にしか対峙出来ない「この世との別れ」をその歌で体験し、時間の先取りをして「死」さへ超越し「生」に組み込んでしまったBarbara。
諧謔と自虐と「死の先取り」はBarbaraにとって人生を孤独に生きるための三種の武器だったのかもしれない。
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Hospitalisation de la chanteuse Barbara

Paris発11月25日(火)AFP通信:Paris時間00時53分

現在火曜日、信頼できる筋から得た情報によると、歌手のBarbaraが日曜の深夜から月曜の未明にかけてParisの病院に収容された模様。
ここ15年来居住しているPrecy-sur-Marneの消防隊(軍隊に属し治安の維持活動や、日本の救急隊のような活動もする)が駆けつけた。Brabaraは本名をMonique Serfといい、年齢は67歳。入院した病院の場所及び名前は現在未確認。
Barbaraの近親者は入院の原因及び歌手の状態に関して情報の詳細を一切拒否している。
////////////

これが報道の第一報だと思われる。緊迫感のある記事だ。私の記憶ではまずPrecy-sur-Marneの消防隊によってPrecyの近くの病院に運ばれ、その後あわただしくParisのアメリカン病院に転院している。そのときすでに危篤状態または仮死状態だったと思われる。Parisの病院に転送されるのは本人の希望だったのか、近親者の希望だったのか、理由はわからない。それとも私の記憶違いで、この記事にあるように直接Parisの病院に運ばれたのかもしれない。後にこの点を確認してみたい。
Parisの病院で亡くなったという報道に初めて接したときは、そこに長く入院していたようなイメージをまず抱いたが、少なくともそういうことはないことだけは明白だ。
思い出してほしい。11月23日(日)の午後Barbaraは自宅から電話をかけJean-Claude BRIALYやAnnie Girardotと一見楽しく会話していたではなかったか。救急車で病院に運ばれたのは、なんとその夜のことなのだ。
・・・・・

訳者注(1):私が所有している11月25日(火)のLe Mondeによると、まずPrecy-sur-Marneに住んで15年ではなく20年と書かれている。そして自宅からBarbaraを病院に運んだのはPrecy-sur-Marneの消防隊ではなく、隣町のClaye-Souillyの消防隊となっている。

訳者注(2):Francois Faurant氏の詳しい資料で確認するとBarbaraは11月24日午前3時にまずMeauxの病院に運ばれている。その数時間後さらにParisのNeuillyのアメリカン病院に転送されている。その病院にて11月24日(月)16時10分に死亡している。
AFPがBarbara死亡の速報第一報を流したのは11月25日(火)午前9時となっている。(それは残念ながら入手していない)

"assomme" par la mort de BARBARA

Barbara fanはフランスにしかいないのかと、すっかり諦め始めた頃、Barbara fanのK氏からmailが入った。NHKの午後のシャンソンでBARBARAと出会ったのが高校生の時。出会いはSeuleからの1曲、と言うことは1980年頃?同じ高校生でもMachinist氏のPauvre MARTINとは少し時代が違うが、高校生でBarbaraに目覚めるとは、いずれにせよ、素晴らしく稀有なことだ。私は20歳で出会って、その後1,2年は近寄りがたく、距離をとって、しかもあらぬ方向を見ていたような記憶がある。一気に近づいたのは社会人になって世間と対峙出来るようになってからだ。

1997年11月25日K氏はNET上に現れたBARBARAに関する記事をくまなくprint outし保存されていた。今それをBruxellesが拝借している。それらの資料のなかから、なるべくダブらないものをpick outし、順次紹介していきたいと考えている。

本日はまずMoustakiのコメントから。
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Paris発11月25日(火)AFP通信:Paris時間10時54分
歌手のGeorges Moustaki氏は火曜日Barbaraの死を知って、打ちのめされた気分でいる、と語った。BarbaraはNeuilly-sur-SeineにあるParisのアメリカン病院で月曜日の夕方死亡した。享年67歳。
「ニュースを知って吃驚し、本当にガックリきた。そして同時に彼女の具合がこれだけ悪かったことを知っておくべきだったと思う」とFrance InfoのインタビューでMoustaki氏は語った。
「人が亡くなった時、誰もが感じる、どうしようもない無力感のような・・・。僕はね、ちょっと1曲作ったばかりなんだよ、デュエット曲を。もう長い間一緒に歌ってこなかったから。それを話したら『いいえ、歌わないわ。今はね、そういう体調でないの』って彼女は言ったんだよ。僕が考えているより、体調が悪かったんだって、それを聞いた時に、気づくべきだったんだ」
・・・・・・

Moustakiが作った曲は「ODEON」。Barbara以外の人とはデュエットする気はないとMoustakiは言っている。一人で歌った「ODEON」。いつかAUDIO「見えない鳥の存在」にUPしてみたいと思っている。

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