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Paul Delvaux

20050624185927.jpg

I am deeply impressed by this picture.
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Barbara et Bruxelles (2)

Barbara et Bruxelles (2) 2005/06/03
Le Cheval Blanc (白馬)

もう少し後でBrassensの初78回転を聞いたのも、やはりCのおかげだ。La porte Louiseのレコード店で聞いたのだがその時はEtheryも一緒だった。三人に共通する忘れられない思い出だ。CはよくマジックをするためにBoondaelにやって来た。彼の芸は大人気だった。三人でしばらく仮小屋でショーをして、順調だったけれど、私たちには興行のライセンスがなかった。地区の憲兵がやって来て興行の停止を命じた。 Etheryと私はまたしても仕事を失った。
Cは地元のことをよく知っていて三人で興行を続けられるように場所を探してみようと言った。
La Malibranの古い家からそう遠くはないIxellesでLe CHEVAL BLANCという名の、ごく普通のポテトの揚げ物屋があった。油くさく薄暗いこの揚げ物屋の奥に、楽屋はないけれど、小さなステイジの付いた、ホールがあった。とてもデラックス、何しろ幕まで付いていたのだから。ホールの壁はJacques Nathanという名の若いアーティストによって装飾が施されていた。ポテトフライや小エビの詰め物の悪臭のする中に、このようなシュールな装飾の場所があるとは、それ自体がシュールだった。
詩やシャンソンや演劇が熱狂的に好きだった、ショービジネスの先駆者が、私たちがここを見つける前にこのホールを使っていた。ここでBruxellesの左岸派演劇のはしりを催して成功を収めていた。彼はここをLa POUBELLE(ゴミ箱)と名づけ、Jacques Nathanに内装を依頼したのも彼、Jo Dekmineだった。Jo Dekmineには創造性、高い芸術性、そして多方面にむかう留まる所を知らぬ好奇心がある。私は彼こそベルギー最高の知的な若き劇場支配人だ、と思った。
彼はLa Poubelleを止めていた。もっと大きなちゃんとしたところで上演したくなったのだろう。Bruxellesのあちこちで次々と劇場を開いていき、ついにあの「Theatre 140」に取りかかろうとしていた。ここは、後に作詞作曲者、芸人、歌手など沢山の人たちを集める所となる。私自身この「Theatre 140」には、その後何度か出演した。

私たちのCHEVALBLANCに話を戻すと、Cは早速大家さんたちと協定を結んだ。大家さんたちは飲み物の利益を、私たち三人は入場料からの利益を、と言うことで話はまとまった。他のアーティストもあっという間に集まってきた。パントマイム、物まね、すばらしい声の少年歌手も来た。 Etheryはピアノの弾き語りでグルジアの歌を歌った。私はGill et Vilardの”L'Enseigne de la fille sans coeur",Paul de Kockの"Madame Arthur",Jean-Roger Caussimonの"Monsieur William"等を歌った。 Cは顔が広くて、CHEVAL BLANCはCのおかげで、ブルジュアの客、弁護士や、医者で賑わった。幸せな数ヶ月が過ぎた。その後曖昧だった金銭契約から口論が始まった。大家さんたちは、ショーが大当たりしているので、料金を上げようとした。私たちは入場料まで上げられるのは嫌だった。つまりは出演者たちと、劇場主達との間で金銭的に縺れてしまって、結局CHEVAL BLANCの時代は終わったのだった。

Barbara 「Il etait un piano noir...」 P.99~P.101

Barbaraにこの時代があったことを私はとても嬉しく思う。artistたちのcommuneで明日の見通しもない若い感性がぶつかり合った時代。本物の感性はこういう場でしか出会わない。社会の管理から吹き飛ばされ、目の前に何のレイルも見えない。不当なほど、社会や生活に追い詰められても、社会人や生活者の顰蹙を買っても、完全に別次元の価値体系に生きてこそ、あるいは死んでこそ、若きartistの匂いが発酵するものだ。この時のBruxelles、そしてその前のBruxellesでBarbaraはさんざんな体験をする。悲惨を悲惨と感じない若さだけで真っ暗な夜道を手探りで歩いた不安と孤独の体験があってこそ、その体験が将来(勿論社会的にでも世俗的にでもなくその人の心の中でのみとは言え)燦然と光を放つのだ、と私は思う。そしてそれは直感と本能に基づくartist特有の出会いに繋がってゆく。

Barbara et Bruxelles(1)

Barbara et Bruxelles(1) 2005/06/02
またしてもBruxellesに
Jean Wienerの紹介でPierre Prevert(Jacques Prevertの兄弟)がオープンする「La Fontaine des Quatre Saison」に行ったBarbara。店はすでにオープンしていてショーも始まっていた。手違いとはいえ、Barbaraに与えられたのは一日8フランの皿洗い。・・(省略)・・結局身体を壊してBarbaraは初めて入院生活を送ることになった。(省略)

Belgique時代の友達からBarbaraの話を聞いたCharleroiの青年が病院にやってきた。Charleroiの話や共通の友達の話をした。そして3日後この青年のバイクでBarbaraは再びBruxellesに戻る事になった。1952年冬の初め。この少年の名はJeff。maison de Boondaelという場所で他の若い画家たちと共同生活をしていた。Barbaraも見知らぬArtist仲間に受け入れられた。「歌を歌いたい」と言ったら、客を呼べるようにいろいろ計画を考えてくれた。「私にはまだレパートリーは何もなく、伴奏も出来なかった。出来ても人に聞いてもらえる代物ではなかった」
ピアニストを探したところ、Ethery Roochadzeが芸術家のコミューンのようなBoondaelに電話してきてくれた。二人はEtheryの部屋でその日のうちに会った。大きなピアノと小さなベッドのある部屋だった。Etheryはグルジア人で仕事を探していた。ショパンの「La Quatrieme Ballade」を弾いた。「なんてピアニストなんだ。すごい!と私は思った」この人は小さく痩せていたが、独特の生命力を持っていた。ピアノを弾くと音が彼女の肩から指先に流れていくのが見えるようだった。音が身体全体から湧き出ていた。伴奏を引き受けてくれ翌日から私のこれから歌う歌の練習を彼女と開始した。本当に幸せだった。ついについに私は歌うことが出来る!私は歌う場所を持った。

出て実際歌ってみたが、全くうまくいかなかった。お客の学生たちからは、時々野次が飛んできた。私の歌だけではショーは持たないという結論が出た。Etheryはベルギー人の男性をぜひ私に会わせたいと言った。彼は研修中の法学生だが、ショーのことに詳しい青年だと言った。手品が出来るので一緒にやってくれるに違いないと言った。
正直言ってはじめてあった時、運命の直感はなかった。一年後に結婚することになるのだから、本来は感じてもよかった筈なのだけれど。確かに楽しい人だった。

私の未来の夫はCと言った。(彼や彼の家族に迷惑をかけたくないので名を伏せておく)偉大な手品師だった。知的で無論魅力的な人だった。よく二人で一緒にいた。彼は裁判所にいるより、私といる時間の方がずっと長かっただろう。画家のArchimboldoやRene Magritte,そしてsurrealismの詩人のPaul NOUGEの話を初めて彼から教えてもらった。共通の友達の家で、Marianne Oswaldを初めて聞いたのも彼と一緒の時だった。残忍でモダンで絶望的で、Marianne Oswaldに私は仰天した。(続く)

BARBARA 「Il etait un piano noir...」 P.95~P.98


Ils chantent Barbara

barbara1.gif

前に書いたのとは別の、いろんな歌手がBarbaraを歌っているCDを見つけた。1998年CD Altas 6227213
タイトルはズバリ「Ils chantent Barbara」内容は

Catherine Lara : A mourir pour mourir
Jean Guidoni : Le mal de vivre
Lio : Dis quand reviendras-tu ?
Marie-Paule Belle : Une petite cantate
Lucid Beausonge et Frank Noël : La Dame brune
Nicole Croisille : L'aigle noir
Alice Dona : Moi je me balance
Marie Myriam : Du bout des lèvres
Pascale Richard : Au bois de Saint-Amand
Nicole Croisille : Nantes
Michèle Torr : Ma plus belle histoire d'amour
Serge Reggiani : Göttingen

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