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Dalida 丸裸 (1)

なんだかスキャンダラスなタイトルをつけてしまった。たまには週刊誌的な内容の記事を書きなぐってみたくなった。読んだ後すぐに忘れてくだされば、Dalidaも許してくれるだろう。えぇ?第一日本語は読めないって?
とにかく偉大な歌手である。生涯七か国語で歌い、2000曲近くを録音している。
"Bambino","Come Prima","Gondolier","Les enfants du Pirée","Gigi l'Amoroso",子供の頃からずっと聞いていたような気がする。


"Il venait d'avoir 18 ans":この曲私はドーナツ盤で持っていて、歌う練習もした。A面がフランス語、B面はDalidaが日本語で歌っていた。本国では"Gigi l'Amoroso"のB面で1973年に出た。以前にも書いたが、Pascal Sevran作詞である。Pascal Sevran同様Dalidaにとっても、忘れられない曲となった。1967年、Dalidaは18歳の学生の子どもを身籠った。堕胎を決意したが、フランスでは法的に禁止されている。イタリアまで行き手術を受けたが、子供の産めない体になってしまった。この事実を知ればあの歌の解釈が違ってくるような気がする。


1987年5月2日から3日にかけての夜、「人生は耐え難い。許してください」という有名な遺書をファンにあてて、自殺した。遺書はあと2通あって、一通はマネージャーで弟でもあるOrlandoに、もう一通はFrançois Naudy氏にあてたものだった。そう言えば、この夜彼女は恋人の到着を待っていたのだが、彼は来なかった。その恋人がFrançois Naudy氏であったのかどうか、後で調べることにする。
調査結果:1985年に知り合った医者、次第に遠のきつつあった最後の恋人、待ちくたびれて、耐えられなくて薬を飲んだ。何日も考えあぐねた末だったのか、発作的な死への誘惑に駆られたのかはわからない。遺書の言葉から判断すると原因は前の方だと思われる。下に二人の楽しそうな写真)


"J'attendrai":Rina Kettyのこの曲をDalidaはdisco風にしてリバイバルさせた。弟のOrlandoのアイデアだった。他に"Besame Muchoなど40年代の古い曲を全部disco風にして歌った。私はこの時期のDalidaにはウンザリだ。Dalida自身はどうだったのだろう。売れ線を目指して、無理やり時流に乗るために弟に言いくるめられたと、勝手に思っていたのだが。


"Paroles, Paroles":Alain Delonとこの曲をデュエットしたのは1973年だ。この時期のAlain Delonはバリバリの世界的大スターで、この曲のヒットは初めから約束されたも同然だった。DalidaがAlain Delonを知ったのは1955年、rue Jean-Mermoz à Parisのアパルトマンに住んでいたAlain Delonはまだ無名で、DalidaもAlainにとっては単に、隣のアパルトマンの住人に過ぎなかった。因みにAlainの最初の映画出演は1957年、Dalidaの最初のレコードは1956年である。なんか、いい話でしょう?後に大スターになる無名の若い男女が隣同士に住んでいたなんて。

上の写真はDalidaが1976年Porto-Vecchioに立てた6部屋プール付きの豪華別荘。家族や友人たちと楽しいひと時を過ごしたのだろう。建設は自殺の11年前である。人生の何が耐え難かったのだろう?等と思うのはひとり増えてもひとり減ってもわからないような庶民の庶民的感性、ということか。

Orlando, 姉Dalidaを語る

来年公開されるDalidaの自伝映画でDalidaを
演じるのは、Nadia Farès。

こちらは2005年Dalidaを自伝TV映画で演じた

Sabrina Ferilli。     ↑
ルイジ・テンコと共演した問題のサンレモ音楽祭の場面
ルシアン・モリスと出会った場面 初めは髪の毛黒かった:
・・・・・・・・・・
Film de l'exposition DALIDA UNE VIE à la Mairie de Paris 2007 partie 1
Film de l'exposition DALIDA UNE VIE à la Mairie de Paris 2007 partie 2
Film de l'exposition DALIDA UNE VIE à la Mairie de Paris 2007 partie 3


・・・・・・・・・・
Dalida - Emission spéciale ( partie 1 )
Dalida - Emission spéciale ( partie 2 )
Dalida - Emission spéciale ( partie 3 )
Dalida - Emission spéciale ( partie 4 )
Dalida - Emission spéciale ( partie 5 )

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Dalida 丸裸 (2)


上の写真はMontmartreのDalidaの家、1962年から
亡くなるまで(自殺)ここに住んでいた。↑


Dalidaの曲で好きなものを挙げると4,50曲を下らない。どうしても外せないものでも軽く2,30曲を超える。そこを清水の舞台から飛び降りて3曲に絞ると私の場合は以下の曲となる。

DALIDA. Il pleut sur Bruxelles
DALIDA Mein lieber Herr
Dalida - Voila pourquoi je chante

JA2 20H : EMISSION DU 04 MAI 1987
亡くなった翌日のTVの特別番組 NEWSの後

Dalida En Memoire 3 Videos

最初の結婚はLucien Morisse
スターに育ててくれた恩人でもあり愛し合って結婚したのだが
結果的にはDalidaがLucien Morisse を捨て
当時画家であったJean Sobieskiに走った。
Jean SobieskiとDaliadaのことは写真を出して以前に書いたことがある。
確かに美男子でDalidaを満たす術も知っていてそして
そのための自由な時間も持っていた。
1961年から1963年まで生活を分かち合った。
Dalidaと関わった男性で珍しく自殺しなかった男として記憶されている。
Jean Sobieski  et  Daliada ↓



Moi La Chanteuseの過去記事でも
Correspondancesの最近の記事でも

Mike Brant(25/04/1975 自殺)を書きながら、Dalidaとのことを
忘れていた。二人は短い関係であったが(1969年)
恋人同士であった。シルビー・バルタンにテヘランで発見され
フランスにやってきたイスラエル人のMike Brant、は
フランスシャンソン界でまずDalidaの愛を得たのだった。
お互いフランス語を母国語としない異邦人である。
そう言えばJean Sobieskiもポーランド人であった。



サンレモで自殺したLuigi TencoとDalidaは結婚を約束していた。
Luigi Tenco et Dalida : le drame de San Remo
才能もスリルもあり女性を痺れさせる要素を充分に備えた
なるほど魅力的な男性である。何故自らの頭をピストルの弾で
打ち砕いたのだろう(26/01/1967 自殺)?
1か月後の同年2月26日、Dalidaが
後追い自殺
試みた気持ちは手に取るように理解できる。
死に損なった絶望のDalidaを見舞い励ましてくれたのは
最初の夫Lucien Morisseだった。二人は
1956年から1961年まで5年間婚姻関係にあった。
死の淵に横たわるDalidaに再び生きる気力を
与えたLucien Morisseも3年後(11/09/1970)に
自ら命を絶った。
なおこのLucien MorisseはDalidaをスターにした
だけでなく、じつはBarbaraのキャリアにとっても
かけがえのない存在であった。そしてこの際言ってしまうと
Barbaraの人生を彩った男性でもある。

今朝目を覚まして、昔(8年前)記事にしたDalidaのある言葉を
思い出した。さすが恋愛の名人である。
なかなか凡人には気づかない言語上の発見でもある。
参照:Music Cross Talk 過去記事


(つづく)

Dalida 丸裸 (3)

Place Dalida - Montmartre - 1997


Dalida & RICHARD CHANFRAY
(Et de l'amour..de l'amour)
私生活ではこの年、リシャール・ド・サン・ジェルマン(リシャール・シャンフレ)と名乗る錬金術師まがいの人物が彼女の生活に入り込んでくる。と
薮内久氏の「シャンソンのアーティストたち」には書いてあった。以来ずっと「錬金術師まがい」とはどういう意味だろうとこの人物には興味を持っていた。
Richard Chanfray Wikipedia
子供の頃からそしてDalidaと付き合ってからも刑務所体験があり、「錬金術師まがい」と言うほかはない人物のようだ。鉛を金に変えたり、マインド・リーディングをしたり、ある種の魔術師なのだが、本人は
サンジェルマン伯爵と名乗っている。サンジェルマン伯爵は伝説的な人物で、日本で言うと永遠の命を持つ弓削道鏡か、はたまた時と空間を自在に動ける役行者その人だと名乗り出てくるようなものだろうか?実際DalidaとDalidaの家族を信用させるに充分な魔術が出来たようだ。
この時点(1972年)ですでにLucien MorisseやLuigi Tencoに自殺され、しかも堕胎手術の失敗で子供の産めない体になっているDalidaにしてみれば、これくらい強烈に現実乖離している男でないと、自分を委ねることは出来なくなっていただろうと思われる。80年に二人の関係は終わりを迎え彼は彼女のもとを去る。しかし考えてみれば一番長く続いた恋人であり、もしかしたら、最も必要とした恋の高揚を存分に与えてくれる最後の男性だったと言えるかもしれない。Dalidaと別れて3年後に
Richard Chanfrayは自分に似たような新しい女を道連れにして自殺する。Dalidaと愛の日々を体験した男性、3人目の自殺者である。
(1975年に飛び降り自殺したMike Brantを数えると4人目。但しLuigi Tencoを除けば、皆別れて数年後の自殺であり、恋が燃え上がった真っ最中に一人で死んだのはLuigi Tencoのみである。Luigiはその遺書に於いてDalidaには一切触れていない。Luigiの自殺はDalidaにとっても不信を伴う謎だっただろう。しかも自分の目で彼の死体を発見したショックはいかばかりだったろうか)

Richardと別れた翌年Dalidaはオランピアでデビュー25周年記念リサイタルを行い華々しい余力を示したが、Richardまでもが自殺した年あたりからは、自分を支えきれなくなって苦しんでいたのかもしれない。自らの薬物自殺はその4年後である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Dalida. Biographie-1
Dalida. Biographie-2
Dalida. Biographie-3
Dalida. Biographie-4
Dalida. Biographie-5
Dalida. Biographie-6
Dalida. Biographie-7

DALIDA Pour toujours-1
DALIDA Pour toujours-2
DALIDA Pour toujoursー3
DALIDA Pour toujours-4
DALIDA Pour toujours-5
DALIDA Pour toujours-6
DALIDA Pour toujours-7
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

étérnelle dalida
Décembre 1967 : Enceinte d'un étudiant romain Claudio agé de 22 ans, elle décidera d'avorter mais l'opération échoue et la condamne à n'avoir plus jamais d'enfant.

Dalidaの映画を見ていたら、彼女を妊娠させた「18歳の彼」の名前がわかった。上のサイトの引用にも書いてあるが、名前はClaudio,イタリア人の学生、出会ったときは18歳だったのか、上のサイトの記事によると、妊娠当時は相手は22歳と書かれている。上のfilmにはClaudioも登場したが、なかなかの美男子。うまい具合にそういうfilmがあったのか、俳優が演じているのかはわからない。Dalidaの映画の中に登場するClaudio(俳優)とは別人。
追記:ルイジ・テンコが亡くなったのが1967年、ClaudioはボロボロになったDalidaの心に若さゆえの強引さで飛び込んできたのだから、出会った年に妊娠したことになる。従って18歳は曲のプロモーション用の話で、実際は22歳であったのだろう。
追記:思い出した。この曲の作詞家の
Pascal Sevranの生涯の恋人、Pascalがその恋人に出会ったのが相手の少年18歳、つまり「18歳の彼
」の18歳は作詞家の実人生のお話だったと、判断したほうがよさそうだ。
(ややこしいのだが、作詞は18歳の彼に、実際に出会う前に書かれている。Pascal Sevranをクリックすると、Pascalが生涯愛し続けた「彼」の歌うシーンへのリンクもあるし、幸せそうな二人の写真もある)

Dalida 「18歳の彼」 & カラオケ
思い出した。これも当時買いました、聞きました。
若くて知らない人にはお勧めです。
18歳の彼(岩下志麻):

Dalida 丸裸 (4) 

disparition de dalida (05/1987) :

Dalidaが驚異的数のヒットを飛ばしたのは
一国に拘束されない身にまとったその国際性
具体的に言うとエジプトとイタリアにあると思う。
歌手にとっての恋愛は政治家にとっての票
実業家にとっての仕入れのようなもので(?)
恋なくして何の人生かな
実人生にドラマなくして歌など歌えるわけがない。
実人生は破綻していた、などとは言わせない。これでいいのだ。




Mina & A. Lupo _ Parole parole _ Live 1972:
Dalida & Alain Delon - Paroles, paroles
中村晃子 細川俊之 / あまい囁き(1973) :
ダリダとドロンの関係、気になるところだと思うが
2007年にドロンが告白している。1960年ローマでたまたま二人とも
それぞれ別の映画の撮影があって再会
短い期間ではあったけれど激しく情熱的な男と女だったことがあったと。
60年と言えば二人はまだ若い、しかも昔からの知り合いである。
美男美女、そうならないほうがおかしい。

今回私が一番驚いたのはこの関係だ。↓
友情だったとも言われているが(言い訳が必要だったということ)
そういうのに限って出来ている。まさかの関係。



誰だかわかるだろうか?
この男、Francoise Saganの身も心もとらえていた。


闘争する男、男の権力は女にとって
やはり計り知れない魅力となりえるのだろうか?
これらの関係に関しては写真だけでなく証言も多い。
1981年Barbaraも赤いバラを手にして
この人の元に駆けつけた。
自作の素晴らしい曲まで捧げている
BARBARA - Regarde
Mitterrandはある時期対独協力者だった過去まで
暴露されているのだが、Barbaraにとって、そんなことは
「Et Alors」だったのかもしれない。
フランスの被占領期の歴史解釈は日本と同じで簡単ではない。
参照・過去記事:Du Soleil Levant : Mitterrand et Barbara:

・・・・・追記:2012年6月26日・・・・・
タイトル「Dalida丸裸」に因んで
仰天の丸裸Artを紹介します。
笑っちゃいます?それとも?
Spencer Tunick: Installation  :

Dalida 丸裸 (5)


そう言えば、エジプトの南部、ナイル河の近くにこういう観光客用のロバ(仔馬?)がいた。場所・年代の特定はできないが、エジプトを外国人として楽しんでいるDalida。.

Dalidaの男たちー追記


Christian de La Mazière

Après sa rupture avec Jean Sobieski, Dalida connut Christian de La Mazière (décédé en 2006), journaliste au passé trouble - il avait combattu dans les Waffen SS, alors âgé de 17 ans - leur histoire prenant fin en 1966, il resta un ami fidèle pour la chanteuse.

Dalida enjoyed Christian de La Maziere (d. 2006), a journalist with a troubled past - he had fought in the Waffen SS, who was 17 years old - their story ending in 1966, he remained a faithful friend for the singer.
時期的にはJean Sobieskiとの破局の後に現れた男性で、1966年に破局。しかし生涯友情が続いたと記されている。出会ったときはjournaliste であったが、ヒトラーの武装親衛隊員であった過去を持つ。この過去は重い。
Christian de La Mazière : wikipedia
Interview de Christian de La Mazière :
Christian de la Mazière - Gallic Shrug Olympian :
フランス人であるにも関わらずSS隊員であったということは
ナチス末期、有無を言わさず強制入隊させられたのだろうか?
末期のナチスの隊員として戦い
ポーランドで捕虜になる。その後ロシアに引き渡され
またしても捕虜。フランスに帰国後は
裁判にかけられ売国者として刑務所生活をおくった。
Marcel Ophulsのドキュメンタリー映画
「 The Sorrow and the Pity」に登場して
当時の自分の果たした役割について語っている。
また自身「The captive dreamer」と言う本を書いて
Fresnesの刑務所生活を含めた戦後の時代そのものを
自らの手で明らかにしているらしい。(未読)
(日本にはこのあたりを理解できるだけの研究はない。)
戦争に負けるということは、戦勝国の命令に従わなければ
ならない。意思に関わらずナチスとして戦ったフランス人も多い。
Christianは幸運が重なって辛うじて処刑を免れた。
後にアフリカのトーゴの政治に深くかかわった。
敗戦国イタリア人のダリダにはこのフランス人
が理解できたのかもしれない。
このあたりの理解が困難な原因は一言で言うと
ファシスト、共産主義、社会主義などの言葉の意味するものと
その実態が乖離しすぎていることに原因がある。
ファシズム対コミュニズムとして対極に置くことも
今となってはそもそもの間違いである。
参照:国家社会主義ドイツ労働者党について
参照:ナチス・ドイツ 隠された真実

DalidaはJean Sobieskiにないずば抜けた知性
と拭い去らなければならなかったChristianの
暗い過去を愛したのではないだろうか。
Dalidaと出会った頃の彼は芸能界にすでに充分な名声を
築いた、歌手の女友達もたくさんいる、実力派Journalistであった。

/////////////////////////////////////////////////////////

参照:詩集「2N世代」
The sorrow and the pity by Marcel Ophuls
この映画に登場するChristian de La Maziereに関しては
以下のように簡単に紹介されている。
French aristocrat and former Nazi Christian de la Mazière is also engaging as he frankly answers all of André Harris’squestions and discusses his past political choices and involvement with the Waffen S.S. with
impressive clarity.
この映画は1969年に制作されている。1968年5月がなかったらおそらく誕生しえなかったdocumentaryではないだろうか。何故ならそれまでフランスは過去をそうでありたいように捏造してきたからだ。ある種の人たちを英雄とし、ある種の人たちを裏切り者として、それこそ国体維持のために(国としての誇りを失わないために)まやかしの裁判官となって、真実の歴史を追求しようと一切してこなかったからだ。
このあたりははっきり言って日本人には手が出ない難解さである。フランス史に興味のある方は上記をクリックして、とりあえず入口の隙間から中を覗いてみては、いかがでしょうか。
参照:入口の隙間:ここからが一番見やすい
吃驚するような一行はこれだ↓
In fact, in the first section, one of the interview subjects says flat out that anti-Semitism became a point of agreement between many Frenchmen and Germans.
・・・
This film was first shown on French television in 1981 after being banned for years. It is frequently assumed that the reason was French reluctance to admit the facts of French history. While this may have been a factor, the principal mover in the decision was Simone Veil, a Jewish inmate of Auschwitz who became a minister and the first President of the European Parliament, on the grounds that the film presented too one-sided a view.
このfilmはTV放映用に制作されたものであるが、放映が禁止されていて、フランスのTVで最初に放送されたのは、1981年。ユダヤ人であるSimone Veilが内容に偏りがあるとして放送を許可しなかったためだとも言われている。



Dalida 丸裸 (6) 



Dalidaの男たちー追記 : Arnaud Desjardins


Moreover, Dalida lived with philosopher Arnaud Desjardins between 1969 and 1971, but this being married, they chose to end the connection.
Par ailleurs, Dalida vécut avec la philosophe Arnaud Desjardins entre 1969 et 1971, mais celui-ci étant marié, ils préfèrèrent mettre fin à cette liaison.
先のChristian de La Mazièreも、戦後フランス史にはまり込んで非常に苦労したけれども、今回も負けず劣らず、手ごたえがありすぎて、軽く触るだけでも七転八倒。Arnaud Desjardins は東洋の宗教哲学を最初にフランスにfilmと実践で紹介した、フランスを代表する東洋宗教哲学者のようだ。東洋宗教哲学そのものよりも東洋宗教哲学がフランス人にはどう見えるのか、そこにむしろ興味を抱いたのだが、そんなことに気を取られていては、いつまでたってもDalidaに行き着かないない。相手が既婚者だったので、話し合いの末別れた、と上には書いてあるが、この妻までが大変な人物で、Dalidaが結局は身を引かざるを得なかったのもよくわかる。深い宗教哲学世界に導かれはしても、二人の強烈に同調する形而上世界に、歌手であるDalidaはやはり割り込めずはじき出された、そんな印象を持った。


Arnaud Desjardins et Dalida ↑

♪ Dalida : S'aimer, pour te dire je t'aime: ♪

Arnaud Desjardins - Récit d'un itinéraire spirituel 1-2
Arnaud Desjardins - Récit d'un itinéraire spirituel 2-2
Rencontre avec Arnaud Desjardins 1/2
Rencontre avec Arnaud Desjardins 2/2
Arnaud DESJARDINS :これが一番わかりやすいかもしれない。
Dalida, une vie brûlée:Une vie de gloire et de drames, restituée grâce aux témoignages inédits d'Arnaud Desjardins, son amour secret, qui lui fit découvrir la philosophie de l'Inde...


Dalida en Inde avec ARNAUD DESJARDINS

Dalidaもこのようにインドに行き、実際仏教やヒンズー教
の聖者や修行者にも会っていたようだ。
「聖なる予言」で精神世界に入った人も多いと思うが
Dalidaはその一世代前に「インドの不思議」をフランス最高の
宗教哲学者に導かれて精神世界を深く体験していたことになる。
これがDalidaかと思えるほどshow businessの世界を離れて
完全に素の、あるがままの彼女がここにいる。

ARNAUD DESJARDINS
The Message of the Tibetans 1.- Buddhism
The Message of the Tibetans 2 - Tantrism
ZEN Japon -1 Arnaud Desjardins
ZEN Japon - 2 Arnaud Desjardins
DALIDA et Arnaud DESJARDINS - interwiew
DALIDA et Arnaud DESJARDINS (suite)

Dalida 丸裸 (7) 未完

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Dalida et Mitérrand (éléction présidentiel) 1981
・・・・・・・・・・・・
♪ MONTMATRE 2012  & Dalida - Bravo  ♪
 Dalida - Les hommes de ma vie (私の人生の男たち)♪
Dalida et Julio Iglesias : La Vie en Rose
Après sa rupture avec Richard Chanfray, Dalida aura dans sa vie Bertrand Bidault, un assistant ingénieur du son, puis un certain Max, avocat, durant l'année 1982, puis Karim Allaoui, un pilote de ligne égyptien, en 1983-1984. Enfin, au moment de son décès, Dalida avait pour compagnon François Naudy, un médecin, rencontré en 1985.
Dalidaの男たちー追記:といきたいところだが、弁護士、パイロット、医者などなど肩書が揃うけれども、深く刺激を受けるものではなかったようだ。年齢的にもRichard Chanfrayが恋愛的な意味合いに於いては最後の男性とみていいだろう。
まさに恋に生きたDalidaだけれども、その心を覗くと次の歌が一番ぴったりと来るような気がする。
Dalida "Pour Ne Pas Vivre Seul"
一人で生きないために

・・・・・・・・・・
Dalidaを書くときに忘れてはならない男性がもう一人いる。
ずっと寄り添いDalidaを支え続けてきた、Bruno Gigliotti
Dalidaの弟である。エジプトにいるときはヒット曲もある歌手
だった。Parisに来てからは歌手を諦め、姉Dalidaの
プロデューサー兼マネージャー、会社にしてからは社長である。
歌手時代のこの弟のhit曲であるが、聞いて驚く懐かしい曲であった。日本でも坂本九で大hitした。その時代に子供だった日本人ならおそらく誰でも歌えるだろう。
♪ ORLANDO_ Ya Mustapha_ 1962.♪
ダニー飯田とパラダイス・キング:坂本九
映画「悲しき60歳」
Orlando(Bruno)のLPの他の曲も懐かしい。
藤木孝 24000のキッス - YouTube
ビキニスタイルのお嬢さん:田代みどり
・・・・・・・・・・

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