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Luc Simon est mort

 
上の絵はLuc SimonがBarbaraのために描いた「眠れBarbara安らかに」

Luc Simonに関しては画家なので
日本のシャンソン界ではほとんど知られていない。
Barbaraに関する書物を目を皿のようにして読んでいる人のみが、心に留めている存在であるだろう。その死(2011年11月8日)も日本では全くフランスでもほとんど報道されていない。彼はPicassoを捨てた唯一の女、Francoise Gilotを受け止めて結婚、子供もできている、そういった意味では美術界では有名かもしれない。しかしあくまでもFrancoise GilotはPicassoとの間の二人の子供にPicassoの名を継がせたくて、認知を求めた。嫉妬に狂ったPicassoは自分もすぐ後に内緒で再婚するにもかかわらず、認知の条件としてFrancoise GilotにLuc Simonとの離婚を求めた。二人のこどもは、再婚したPicassoには懐かず、Luc Simonとの親子関係の方が良好だったようだ。もう一つ、ここでLuc Simonの死を取り上げる理由は、彼がBarbaraの恋人だったからだ。
Luc Simon: wikipedia
Luc Simon : Ceci n'est pas une pipe: Artist として
Francoise Gilot Picasso:詩集「2N世代」
Barbara's lover, Picasso's rival, is dead
従ってこういう報道↑になる。
Francoise Gilotの50年代
・・・・・・・・・・

必死にさがしたので思いもよらない映像を見つけることができた。しかし若き日のLuc Simonをメディアを通して間接的にではあるが知っているゆえに、これはショッキングな映像だった。彼は87歳で亡くなったのだが、死の3年前からアルツハイマー病を患っていた。若き日は映画に主演したこともある、カッコいい男性であった。この映像を見ると、老いること、に激しいショックを感じた。そう言えば、抽象表現主義画家のWillem de Kooningもアルツハイマー病を晩年に患った。あのWillem de Kooningがである。
Luc Simon 晩年の映像


・・・・・・・・・・
Luc Simonに関してはいつか書こうと思っていた。すでにどこかに書いたかもしれないが私は「
Attendez que ma joie revienne」はBarbaraがLuc Simonにあてて書いた曲だと思っている。その辺の肉づけをしたいと思っていた。今日フランス人のBarbaraサイトの一つにいくと「Je ne sais pas dire je t'aime」が、BarbaraがLuc Simonに書いた曲だとあった。この歌詞そのものをBarbaraは手紙にしてLucに書き送っているそうだ。心情的には「Attendez que ma joie revienne」と非常に似ている。しかも時期的に何故BarbaraがAttendezと言っているかもわかっている。その時Barbaraには心からどうしても消えない人がいたのだ。名前も勿論わかっている。そしてそもそもLucはその人物と知り合いで、彼に頼まれて、ParisでBarbaraに近づいたのだった。話すと長くなるので今日はこの辺で。

参照:
BarbaraとPicassoの子供達との繋がり(3)
参照:
Luc Simon:BarbaraとPicasooの子供達(4)
参照;
Picassoの息子と娘?(1) Music Cross Talk


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Luc Simon:BarbaraとPicasooの子供達(4)

Luc Simon

とりあえずLuc Simonの個人資料をなくさないように置いておく。
Francois Faurant Site  :
Luc Simon :
Luc Simon was born in Reims in 1924, where his father was a master
glassworker; Simon himself has designed stained glass windows for a number of churches, including the church of Saint Remi in Reims. Luc Simon studied at the Ecole des Arts Decoratifs in Paris. Although chiefly a painter, Luc Simon has also made sculptures and designed tapestries. Among his prizes are the Prix de la Casa Velasquez in 1950, the Prix Feneon in 1954, the Prix de la critique de la Ville de Paris in 1963. He has works in the National Gallery of Modern Art in Tokyo, and the Musee National d'Art Moderne in Paris. Between 1955 and 1962 Simon was married to the artist Francoise Gilot (between her partnership with Picasso and her later marriage to Jonas Salk). There is a 1973 film about his work, Le peintre Luc Simon, by Denise Glaser; Simon also appears as Sir Lancelot in the classic 1974 film Lancelot du Lac, directed by Robert Bresson.
・・・・・・・
○1973年にDenise GlaserCorrespondances過去記事Je suis mort.com
によってLe peintre Luc Simon, 「画家、リュック・シモン」という映画が製作されている。
○Robert Bresson監督の映画Lancelot du Lac (1974) 「湖のランスロット」で主演のランスロットを演じた。上の写真こちら向きの渋い男性がLuc Simonである。
Lancelot du Lac : Wikipedia
Lancelot du Lac : imdb
Lancelot du Lac : 13 customer reviews Amazon

・・・・・追記:2010年3月15日・・・・・
参照:Ceci n'est pas une pipe :Luc Simon : Art Works
参照(写真):Barbaraの「Madame」の舞台美術を担当した制作中のLuc Simonと、初主演舞台「Madame」の大失敗を「L'aigle Noir」の大ヒットで吹き飛ばした驚くほど若い40歳のBarbara
「Madame」の舞台衣装を着て
(この鋭い目をみて思い出したが、67歳のBarbaraは片方の目の白内障の手術を終え、もう一方の目の手術の予約をいれたまま亡くなっている)

上はCorrespondances(2010年3月15日)にBruxellesが書いた記事をこちらに移動したものです。


BarbaraとPicassoの子供達との繋がり(3)

Barbara et Picasso

写真解説
Luc Simon and Francoise Gilot, Tunisia, 1956
(この時Francoise Gilotのおなかの中には二人の子供が宿っている)
・・・・・・・
1954:In the spring, Gilot and Luc Simon meet by chance at the La Hune Bookstore in Paris, shortly after Simon’s return from a sojourn in Madrid. After years of working so near Picasso, a man of vast intelligence but with a titanic nature, Gilot now finds herself in the company of a man who encourages her more poetic nature and her quest for lyricism in her work.
1956: In May around the Easter holidays, Gilot and Simon travel for a month in Tunisia. Although she is several months into a difficult pregnancy and is experiencing some discomfort in traveling, the cultural, the colors, the children and the quality of light enchant Gilot. October 19: Though there are difficulties during the delivery, Gilot gives birth to her third child, Aurelia.

引用部分の出典)
Francoise GilotはPicassoのもとを去った後、Artを通じた昔の友人Luc Simonと再会、結婚しAureliaという子供を産んだのだった。この時点でLucとFrancoiseには3人の子供がいることになる。二人が協議離婚をするまで、Luc SimonはClaudeとPalomaの父親だった。離婚後もClaudeとPalomaにとっては、認知はされたが既に新しい女性と暮らしているPicassoより、母とLuc Simonこそが、最も親しい家族だったのだろう。一人になった母は羽ばたき後にPicassoにも劣らない著名人と結婚してさらに名声を高めていく。ClaudeとPalomaがPicassoの名を名乗り始めた直後、あるいは遅くともその1,2年後に、Monsieur H..を通してLuc SimonはBarbaraに出会ったのだった。このとき既にLuc SimonにはAureliaと言う子供がFrancoise Gilotとの間に存在していた。
Aurelia and Water Lilies 1969 by Francoise Gilot
・・・・・・・・・・


参照:Francoise Gilot 詩集「2N世代」
リンクにある日本語によるFrancoise Gilotの人生解説の両ペイジに於いてLuc Simonへの言及は「ジローは若い頃の画家仲間リュック・シモンと結婚し、娘オーレリアをもうけている。」の一行のみである。前後の男性があまりに偉大すぎて、Francoise Gilotの人生を外から見た場合、Luc Simonが話題になることは、このようにほとんど無い。一方Barbaraの人生を取上げる場合も、Luc Simonに特に着眼するのは今回のこのCorrespondances(PLANETE BARBARA)が日仏両国を通して初めてだろう。こう書いた以上は、BarbaraとLuc Simonとの出会い及びその恋愛関係にも、出来るだけ早急に筆をあてがわねばならない、と言う気がしてきた。


上はCorrespondances(2010年3月12日)にBruxellesが書いた記事をこちらに移動したものです。

(続)Picassoの息子と娘 (2)

Barbara et Picasso 2

この写真は1989年に出たBarbaraの楽譜集。昨日書いたように資料ではこの写真はPaloma Picassoと記されていた。偶然この本を友人のRoseに買ってもらって送ってもらっていたので、夕べ確認するとこの写真もClaud Picassoとなっていた。お詫びと訂正をいたします。

Claude Picassoを調べたところカメラマン修行をしているので、おそら くPicassoの息子とBarbaraの写真撮影者は同一人物とおもわれる。

Paloma PicassoがLuc Simonの助手をしていて、Barbaraの「Madame」の舞台にかかわったことも確認しました。80年代にPaloma Picassoは自分のブランドを立ち上げ香水やアクセサリーを多数創作している。2001年スイスのLausanneに移住そこにPaloma Picasso Foundationを設立し、特に母親(Francoise Gilot)の作品の紹介に力を入れている。PicassoがPalomaの顔を描いた作品が次のサイトで見える。Palomaの紹介も出ている。
こちら
アーティストというよりスイス在住のBusiness Womanのカテゴリーでようやく見つかった。
以上は2005年10月15日の記事をTopに移動したものです。
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・追記:2010年3月12日・・・・・・・
Picassoとの間に息子Claudeと娘Palomaを産んだFrancoise GilotはPicassoの女としては例外的な行動をとる。Picassoの抑圧や浮気に耐えかねてPicassoの元を去る。この時のPicassoの心境は女三の宮に浮気された光源氏ほど、わが身の老齢化を実感しショックに打ち震えたことだろう。高齢ゆえの完全自信喪失である。
Picasso was not long in finding another lover, Jacqueline Roque.  The two remained together for the rest of Picasso’s life, marrying in 1961. Their marriage was also the means of one last act of revenge against Gilot. Gilot had been seeking a legal means to legitimize her children with Picasso, Claude and Paloma. With Picasso’s encouragement, she had arranged to divorce her then husband, Luc Simon, and marry Picasso to secure her children’s rights. Picasso then secretly married Roque after Gilot had filed for divorce in order to exact his revenge for her leaving him. (Wikipedia)
PicassoはFrancoise Gilotに仕返しをする。ClaudeとPalomaの認知を望んでいたFrancoise Gilotに現在の夫との離婚を要求、自分との入籍を暗示しながら、Francoise Gilotが子供の認知のために夫との協議離婚の手続きを踏むや否や、自分は最後の女Jacqueline Roqueと密かに結婚しFrancoise Gilotから安定していた結婚生活を奪ったのだった。

上はCorrespondances(2010年3月12日)にBruxellesが書いた記事をこちらに移動したものです。


Picassoの息子と娘?(1)

Barbara et Picasso

 これがFrancoise GilotPablo Picassoの間にできたClaude Picassoと思われる人が撮影したBarbaraの写真。明日は二人の間の娘と思われる、Paloma Picassoが撮影した写真を載せます。Paloma Picassoは1970年Renaissance劇場の「Madame」の舞台構成をした、Barbaraの友人Luc Simonの助手をしていました。
以上は2005年10月14日の記事をTopに移動したものです。

・・・・・追記2010年3月12日・・・・・
Luc Simonについていつか詳しい記事を書こうと思っていた。これはまだ調査の必要ありのことだが、「Attendez que ma joie revienne」はLuc SimonにBarbaraが贈った曲ではないかと考えている。Luc SimonはMonsieur H...とBarbaraの仲をとりもった人物なのだが、結果として後にBarbaraの恋人になった人物である。上に書いたように「Madame」の舞台美術を担当し、またBarbaraのPrecyの家の室内デザインも手がけたArtistである。Luc Simonの手になる「Barbaraよ、眠れ」という絵画作品も見た記憶がある。友人のJeanneに貰った比較的新しいCD付きBarbara本のイラストはLuc Simonが担当している。BarbaraサイトのArticleとしてLuc Simonを書くにはまだまだ多くの時間をかけた資料調べが必要なので、いつ頃脱稿できるかは完全に未定である。
上の記事を書いた2005年10月14日の時点では、BarbaraのジャケットにPicassoの名前を発見して、オヤッと思って記事にした段階であるが、昨日BarbaraとPicassoの子供達の繋がりの理由を発見した。

上はCorrespondances(2010年3月12日)にBruxellesが書いた記事をこちらに移動したものです。

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