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Barbaraの一発ギャグ

Poisson Rouge

出典:「Barbara」par Valerie Lehoux P.103
証言者:Claude Vinci
場所:La Boule d'Or : Francesca Solleville, Pia Colombo, Christine Sevres, Marc OgeretそしてBarbara等の溜まり場
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Barbara: "Quelle est la couleur des petits pois?"
(グリーンピースの色は何色?)
Barbara: "Non,c'est pas vert, c'est rouge. Parce que les pois sont rouges!"
(緑じゃないわよ、答えは赤。だってポワソンルージュ(=グリーンピースは赤い)ポワソンルージュ(=金魚)って言うでしょ)

日本語は金魚なので、このギャグは不可。日本でも赤い金魚が一般的なのに。昔は金色だった?!上の写真は16ヶ月ほど前から準備していたのだが、この話を打ち込む時間が無くて、今日になってしまった。


・・・・・・・・・・・・


Je crois que le rire etait pour nous ( Barbara, Sagan, Greco) la meilleure facon d'exorciser la douleur, l'inquietude .
(私達にとって笑いは辛さや不安感を追い払う最良の手段でした)
L'humour de Barbara etait une defense, une fenetre ouvert sur la liberte.
(バルバラのユーモアはある種の自己防衛でした、自由・解放に向かって開かれた窓でした)
「Barbara」par Valerie Lehoux P.104 :
Greco
Juliette Grecoが単なるシャンソン歌手ではない、ことの論拠となりえるほどの素晴らしい分析だ。

上はCorrespondances(2009年8月9日)にBruxellesが書いた記事をこちらに移動したものです。


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Roland ROMANELLI

Roand Romanelli

Roland ROMANELLI 56min
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Le 22 mars dernier Yves Calvi dans son émission
radio Nonobstant sur France Inter invitait Roland Romanelli

・・・・・追記2010年4月18日・・・・・
Barbaraの自殺騒ぎがあった時、結局Barbaraがかけた間違い電話から、その電話を受けた見知らぬ人が救急車を呼んでくれて、Barbaraは死を免れたのだった。睡眠薬の飲みすぎ。魔がさしてうっかり間違えて飲んだのだと、Barbaraは自殺説を完全否定している。眠れない苦しさから、ちょっとばかりアルコールを飲みすぎるような勢いで飲んでしまったのだろう。Dalidaを初めシャンソン歌手には実際驚くほど自殺者は多い。あのJohnny Hallydayでさへ、自殺未遂経験がある。「魔がさす」というのは、説明を拒否するためのジョーカーだ。今朝ふと思い出したのだが、この間違い電話をかける前に、私の記憶ではBarbaraはRoland Romanelliに電話している。が留守だったのだ。睡眠薬が致死量に近づく前に、BarbaraはRolandを相談相手に選んだ。ある時期Rolandは間違いなくそういうポジションにいたのだ。そしてもう一度Rolandにかけようとして意識が混濁して番号を間違えたのだろう。(結果としてはそれが命を救ったのだが)・・・
上の放送でRollandは五月蝿いほどしゃべりにしゃべっている。Planete Barbaraでは既に書き記したことばかりなので解説は省略する。繰り返しになるがひとつだけ、やはりBarbaraらしさを感じるので再記しておく。BarbaraとRolandはLily Passionの稽古中の諍いが元で、ぶち切れたRolandが稽古場を飛び出し、そのまま永遠に去ってしまうことになる。後はお互いの意地の張り合いだ。(Lily Passionで目も当てられない程あの俳優と目の前でいちゃいちゃされたら、Rollandでなくてもぶち切れるだろう-Bruxelles発言)「その後は一度も会っていないのですか?」の問いにRolandは答えている。「一度だけBarbaraから電話がありました。すぐに僕はBarbaraだと分かったのですが、Barbaraはこう言ったのです。『Jean Michel Jarreさんのお宅ですか』?ってね」「それで?」「それで僕はこう言いました。いいえ、違います。番号のおかけ間違いですよ、ってね」
どちらの気持ちも非常に良く分かる。こういうシチュエーションの経験は誰にでもあるだろう。「久しぶり、よく電話をかけてきてくれたね」ってRollandが言えたら、二人はすぐに再会しただろう。あなたがRolandなら、どう対応しただろうか。私がRolandなら、私がRolandなら、同じようにもうBarbaraの元には戻らないだろう。

上はCorrespondances(2010年4月18日)にBruxellesが書いた記事をこちらに移動したものです。

Barbara初来日

Barbara初来日の第一回国際歌謡音楽祭の記事を発見しました。
ざっと見て1970年がどんなに昔かということがよくわかる。
Barbaraは21日のショータイムに出演している。同日の出演はほかにイタリア人のGianni Nazaro,そしてなんとザ・ピーナッツ。ヤマハの
貴重な記事をご覧ください。
グランプリはHedva and Davidの「ナオミの夢これは大ヒットした。


・・・・・追記 2008年6月19日・・・・
上の記事は2005年7月26日の記事としてCorrespondancesに編入したものだが、もともとはそれ以前にPLANETE BARBARAに書き込んだもの。覚えている方はほとんどいないと思うので再録してみた。
場所は日本武道館大ホール
このときBarbaraは3曲ほど歌ったという記録があるのだが、タイトルは何だったのだろうか。葦原英了氏がこのときの様子を書き留めておられる。「長身と鋭角な顔に物を言わせて」という表現が強く印象に残っている。「堂々と歌い、1万人以上の聴衆をうならせてしまった」とある。葦原英了氏の「シャンソンの手帖」(1985年3月31日発行)によると同じ日の晩、IBM主催のリサイタルが読売講堂で行われている。ここでは30曲以上も歌ったとある。彼女の魅力にすっかり捉えられてしまった。全聴衆がそうだったと言える。と書いておられる。その30曲あまりはどんな曲であったのだろうか?もしこの時の録音があれば、今のBarbaraの勢いからすればすぐにでもCD化は可能だろう。


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ナオミの夢」 Hedva ve-David
この第一回大会にフランスからはFrida BoccaraHerbert Leonardが参加している。これだけの歌手を世界中から集める力が日本にあったのは、おそらく1970年の万博の勢いに違いない。
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これはBlog Correspondancesの2008年6月19日の記事をこちらに移転したものです。

Sophie Makhno (=Francoise Lo)

Sophie Makhno

上の写真はとても若い1967年の Sophie MakhnoとRicet Barrier。Ricet BarrierもL'Ecluseの歌手だったので、5 septembre 2009のFrance Musiqueの番組Les Greniers de la mémoireの「Au cabaret de L'Ecluse」に登場して「La Servante du château」を歌っている。(既に紹介済み)
・・・・・・・・・

はじめの頃さんざん紹介した、Sophie MakhnoことFrancoise Loの動画がYou Tubeに登場している。ちょっとした発言がBarbaraの遺族の逆鱗に触れ、責任をとってLes amis de Barbaraを自分からやめていったこともあった。数年前に亡くなっている。
Barbaraの秘書としても最高の働きをし、その後も自ら歌手にもなり、プロデューサーにもなり、そしてBarbara時代から引き続き作詞家としても、いずれの分野においても大成した。Barbaraの伝記には欠くことのできない存在である。
Sophie Makhno "Un Gros Calin" Discorama 07/11/1971
私の記憶ではこの人は来日もしている。日本では、Barbara関連と言うより、Piafを失った後一時霞んでしまったCharles Dumontを再生させた存在としての方が、関係者には知られているかもしれない。歌手としてのCharles Dumont最大のヒット曲「Ta Cigarette Apres l'Amour」をDumontに提供したのが彼女である。
Sophie Makhno自らがYou Tubeで「Ta Cigarette Apres l'Amour」を歌っている。それが彼女の死後にこうして日本で見られるなんて、物凄い時代になったものだ。Charles Dumontの歌うものも、勿論探し出した。
Ta Cigarette Apres l'Amour:Sophie Makhno 1980
Ta Cigarette Apres l'Amour: Charles Dumont

参照: Music Cross Talk
Sophie Makhno (=Francoise Lo): Barbara関連
参照:Toi Le Poete
Ta Cigarette Apres l'amour: 歌詞和訳 
参照 : Correspondances過去記事
No.1
Barbara et Charles Dumont
No.2 Ta cigarette apres l'amour:
No.3 Ta cigarette apres l'amour :
No.4 Quel Joli Temps:
No.5 Monsieur H... : Les Amis de Barbara:

L'Ecluse-6 : Marc et Andre (未完)

L'Ecluse-6

Planete Barbara過去記事: L'Ecluse (1)
Planete Barbara
過去記事: L'Ecluse (2)
André SchlesserとMarc Chevalier はMarc et Andreという二人組みで活躍した。まず彼らの「Trois petites notes de musique」を。
Marc Et Andre のChansons de l'ecluseというアルバムは2007年にCD化されている。信じられないほど有り難いことに40曲全部聞ける。こちらがDeezer.comのMarc et Andreの元サイト。
上の写真はL'ECLUSEでなくコクトーの映画オルフェ」(1950)ではないかと怪訝に思われているかもしれない。この大女優Maria CasaresがAndré Schlesserの妻なのです。初めて知った時は吃驚しました。そしてAndré Schlesserには息子がいて名前をGilles Schlesserと言い「左岸のキャバレー」(PODIUMにリンク)という本を書いています。PODIUMの本の紹介の中にAndré SchlesserとBarbaraのことを書いています。


L'Ecluse-5 et Leo Noel 

L'Ecluse-5

Music Cross Talk過去記事
現在のL'Ecluseの内部でBarbaraを語る濃厚な人たち
(4,5,6場面にMarc Chevalier 氏が登場している)

Leo Noël et son orgue de barbarie - trois chansons
L'Ecluseの共同経営者の一人で、司会者でもあった Léo Noëlは1966年に亡くなっている。彼の死とともに、L'Ecluseの人気にも時代的な陰りも見え始めた。ここでは50年代の曲を3曲歌っている。タイトルは」「
Sur le pont du Nord 」(Jacques Plante et Michael Felkermann作) 「Mon pot' le gitan 」(Jacques Verrières et Marc Heyral作:Yves Montand や Mouloudjiでヒットしたが、最初に歌ったのはBarbara)「 Tout le long des rues」(Robert L'Herbier作)。当時の78回転や45回転のレコードから。音源は Marc Chevalier氏の提供。 Léo Noël に関しては現在のところCD化されたものは存在しない。

Leo Noelが得意とした楽器 Orgue de Barbarie
手回しオルガンの音を聞いてみるペイジ。

Sous les ponts de Paris: Interprète-Léo Noël [1914-1966]
Compositeur : Vincent Scotto [1822-1947]
(Tino RossiでSous les ponts de Paris)
Leo Noelで特筆すべきは交通事故で瀕死の重傷を負ったSerge Lama の復帰に尽力したこと。その際Barbaraを含む多くの歌手や音楽関係者がSerge Lama の再起に協力した。

Léo Noël - Tout ça parce qu'au bois de Chaville
(Pierre Destailles et Claude Rollands作、1953年:Odette Laure, Jacques Pills, Henri Decker, Jean Lumière, Caroline Cler, Luc Barneyらに歌われて大ヒットした。)
 「Tout ça parce qu'au bois de Chaville」を
作詞者のPierre Destaillesで、聞く。

Léo Noëlは戦前から歌っていた。Francis Lemarqueは兄弟のMaurice Lemarqueとコンビで歌っていたがMauriceが抜けてLéo Noëlと入れかわった。従ってLéo Noëlは1938年1939年とFrancis Lemarqueと二人組みだった。戦後手回しオルガンで歌うようになり、それらしい独自のファッションを確立した。いわゆる街角のシャンソン歌手のスタイル。Agnès Capriの店やLapin AgileでMac Orlan, Charles Trénet, Kurt Weil, Kosma等の作品を歌った。1951年のL'Ecluseオープンから彼の死の1966年まで経営者歌手兼司会者としてL'Ecluseの雰囲気、左岸のシャンソニエらしき雰囲気をこのLéo Noëlが作り出したともいえるだろう。すでにLéo Noëlで5曲聞かれたと思うが、さすがに古きよきParisが立ち昇ってくるような暖かな歌唱である。


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この歌手もL'Ecluseでデビューした。Barbaraが去った後誰も手を触れなかったL'EcluseのPianoに最初に触れたのがMarie Paule Belleだった。
36年前のMarie Paule Belle,さすがに大変若い!
Marie Paule Belle,TV初出演。数年前に来日した彼女を思い出される方も多いだろう。すでにBarbaraの妹のような雰囲気がある。
Wolfgang et moi - Nosferatu - télévision 1973

こちらは1964年のBarbara
Barbara chante Trenet - J'ai ta main
Enrégistrée pour l'emission 'Deux par deux',
le 2ième avril 1964.


L'Ecluse-4 et Brigitte Sabouraud

L'Ecluse-4
L'Ecluseは1951年Brigitte Sabouraud (1922-2002), André Schlesser, Marc Chevalier , Léo Noëlの4人のArtistsの共同経営でスタートした。ここではBrigitte Sabouraud の曲を2曲本人が1曲をBarbaraが歌っている。Brigitte Sabouraud はアコーディオンの弾き語りをする歌手であり作詞作曲家でもある。Babarの創造者であるJean de Brunhoff の姪。Suzy Solidorの店でデビューしている。
1曲目は"La marchande de fleurs"(L'Ecluse 1958)
2曲目は"Complainte d'une jeune nonne contre son coeur"
(L'Ecluse 1958)いつか紹介したことのあるYvonne Schmitt がピアノで参加している。
3曲目は"L'œillet rouge"
 Jack SayのオーケストラをバックにBrigitte Sabouraud の曲をBarbaraが歌っている。録音は1954年10月、1昨年Les amis de Barbaraが実現させた例の l'Atelier de Bruxelles における無名のBarbaraの初コンサートから。(3曲全部で8分23秒)
最初の2曲は1998年CD化されたCD "Un soir à l'Ecluse"に収録されている。

Brigitte Sabouraud et Barbara
chantent Brigitte Sabouraud 


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