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Barbara 2-1. L'homme en habit rouge

・・・・・
Je l'avais rencontré là, dans un bar,
Sur une planète vraiment bizarre,
Il fumait des fleurs aux parfums étranges,
Et qui semblaient l'envoyer jusqu'aux anges,

Qui es-tu, d'où viens-tu,
Miraculeusement apparu, dis-moi, dis-moi, dis-moi,
D'autre part, de nulle part,
Dis-moi, quel est ton pays, l'homme en habit rouge,

Il m'a dit "viens, je te ferai connaître,
Ce pays d'où tu pourras enfin naître",
L'Homme en habit rouge
・・・・・・
私はあそこのバーで彼に出会った
不思議な別の惑星のような世界で
彼は変な香りのする花をタバコのように吸っていた
彼を天使のいるところに運ぶような香りの花よ

あなたは誰、どこから来たの
魔法のように現れた人
言って言って言って
他のどこから? どこからともなく?
言って、あなたの国はどこなの
赤い服の男

彼は私に言ったわ
「おいで、君がきっと生まれ変われる
その国を教えてあげよう」
・・・・・・・・・
「赤い服の男」
Text: Barbara et Gerard Bourgeois
Musique: Barbara

私はBarbaraがせわしなく歌う曲をあまり好きではない。この曲もそうだったのだが、偶然映画館で見たBejartの「Je suis ne a Venise」の中でBarbaraが歌うこの歌を聞いて好きになった。スピード感覚が映画のダンスと合っていたのだ。
Variete
手持ちのレコードを調べてみると1975年発売(日本で)の「バリエテ座のバルバラ」の中に入っていた。実際は1974年2月9日から3月12日まで出演した。これは例のOlympiaの「さよなら」公演以来のParis公演で、出演は予定より1週間延期された。
若いファンが来れるように最低料金は13フランまで下げるようにBarbaraが強く主張し、その主張は充分に報われた、ある意味で新生Barbara登場とも言えるコンサートだった。この公演ではじめて歌われたのが、この「L'Homme en habit rouge」で、数ヵ月後にレコード化されている。

La Louve今私がもう1枚手にしているレコードは、1974年発売(日本では)のBarbaraの「La Louve」。このレコードのアルバムタイトルが「黒いデッサン」になっているのと、Side-1の1曲目の「L'enfant Laboureur」が「花を咲かせるために」という日本語タイトルがついていることに今、初めて気がついた。この「La Louve 雌狼」のどこが「黒いデッサン」なのだろうか?
永田文夫氏の解説にもこうある。
「最初の『花を咲かせるために』を耳にして、まず驚かされるのは、若々しいロック・サウンドだ」「疑いもなく、バルバラは恋をしているようだ。1930年生まれ、40の坂を越した彼女は、おそらくその生涯で、最も充実した時を迎えようとしている」
ーバルバラが恋をしているーレコードをひっくり返し、William ShellerとFrancois Wertheimerの名前を見つけて、相手はどっちだろう、と詮索した日本のファンも多かっただろう。確かに今までのレコードとは明らかに違うものだった。
簡単な計算をしよう。1974年バリエテ座で「赤い服の男」を発表するためには、少なくとも1973年にその男はBarbaraの人生に登場しているはずだ。そして1973年とはBarbaraが「La Louve」の制作をした年であり、またこれまで定住者では決してなかったBarbaraが初めて自宅を持った年、ParisからPrecy-sur-Marneの家に引っ越した年でもあり、大きな転換年でもあった。
くどくど書くのはやめて、Valerieの本に移ろう。(参照 P.17ーP.18)

「La Louve」が完成した後、Francois WertheimerはBarbaraとはほとんど会っていない。唯一の例外は8年後のPantinに一般聴衆として出かけて行った時ぐらいだ。その時の聴衆の熱狂には本当に驚いた。そこでは、まぎれもなくBarbaraは堂々のロックスターそのものだった。他の日同様、その夜もBrabaraは「L'Homme en habit rouge」を歌った。Wertheimerの中で懐かしい感情が爆発した。
Francois Wertheimer: 個人的な話だけどね、今なら言ってもいいと思う。いい話なんだから。1973年の夏、PrecyのBarbara新宅で僕はいつも全裸で散歩してたんだよ。ある日BarbaraがGuerlainの服を、赤い服を僕のために買って、着させたんだよ。僕が彼女の家を離れて行った後、彼女はこの曲「赤い服の男」を作った。二人の思い出のために書いてくれた曲だと僕は思っている」

Wertheimerは25歳、そしてBarbaraは42歳だった。確かに二人はL'ArcazarのBarで出会っている。そしてBarbaraの新しいPrecyの家に、一緒に入居したのは、なんとこのWertheimerだったのだ。
1973年の数ヶ月間、二人は人生を共にし、愛し合い、彼は歌詞を書き、彼女は曲をつけて、アルバム「La Louve」を世に送り出した。そして制作完成と同時に彼はこの家を出た。彼女は「L'Homme en habit rouge」を書き、バリエテ座で発表した。

Valerie Lehouxの「Barbara」では第1章の前の「Introduction」でWertheimerとBarbaraのこの上記の部分に触れている。今回この本で初めてWertheimerが明らかにした特ダネなのだろう。
///////////

Planete Barbaraに以前登場したWertheimerに関する記事
Plenate Barbaraに以前登場したWilliam Shellerに関する記事
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Barbara 1. 身体の空洞が語るもの

ある程度の情報はすでに入っていたが、あえてこの点に触れずにいた。下手に書くとアーティストを単にエクセントリックな普通の不幸な女にしてしまいかねないからだ。N氏には三年たったら書くと言っていたが、もうすでにあれから三年以上経過してしまった。
この点とは、Barbaraに子供がいたかどうかと言う点だ。
Valerie Lerouxの「Barbara」からの抜粋を訳出しようと思ったけれど、彼女の書き方に不満を感じるので、彼女の資料を使いながら、自分なりに書くことにする。

Barbaraが結局子供を持たなかったこと、その理由は不確かだが、子供がいないと言うこと、産まなかったと言うことは、Barbaraにおいては大きな影を落としたことだけは、誰もがよく知っている。
Barbaraはインタビューの中で数回発言している。
1964年「Bruxelles時代もしお金があったら、私の子供は・・・」「もう次に子供を産むことは決してできない。・・・女性にとって、ここが空っぽなのは、・・・」(Elle、19/11/1964)
1990年「女性としての人生の成功は、私にとっては多分子供を持つことだったと思う。ああ、でもね、そうはできなかった」(Paroles et Musique fevrier 1990)
1992年「私が別の人生を選んでいたとしたら、その可能性は唯一もし子供がいたら・・・という場合でしょう」(Elle, 27/4/1992)
例の自伝の中では、さらに踏み込んで自らこう言っている。
「もう長い間、私の腹部に氷のように冷えた空洞を感じています。妊婦に嫉妬を感じていましたし、新生児は嫌いでした。私は歩く時も、時々腹部に手を乗せて歩きます」
ここまでくると単なる後悔ではなく、大きな苦痛だ。彼女の過去に何があったのだろうか。(とValerie Lerouxは書いているが、私に言わせれば、苦悩を飛び越えた錯乱か病気だ)

1969年2月11日の「Ici Paris」はもっとはっきり書いている。
「子供という言葉を聴くと、彼女は身震いする。開いた傷口に手を乗せて、それを引っ掻くようなものだ。1950年、Bruxellesにいた時、妊娠中に子供を亡くしている。そしてその時同時に子供を産む可能性も失ってしまった」
何しろ「Ici Paris」の記事だから、正しいのか、いい加減なのか、誰にもわからない。公にBarbaraはそういう話はしていない。
その代わりBarbaraはSophie Makhnoに子宮外妊娠をしたこと、そしてそのために外科手術をして酷いことになったこと、それはBruxellesでのことで、1950~1954年あたりのことだったと、話している。その時代の証言者は誰もいない。夫だったClaude Sluysはもうこの世にいない。ピアニストのEtheryは、憶えていないと言う。もう一人の友、音楽収集家だったJacques Vynckier氏は、失敗した手術のことを確かに憶えていたが、それが何の手術であったかは、思い出せない。(この時代身近にいた二人が思い出せないと言っている。私がEtheryでも、Jacquesでも、当然同じようにそう言っただろう)
私BruxellesもBarbara研究家のFrancois Faurant氏にこの点を二度も確かめたが、彼の資料にはBarbaraの子供に関する記録はないということだった。(30-40年前からの日本のBarbaraファンは日本語の資料にあった「バルバラは子供を産んで」「バルバラは子供をBruxellesの火事で失っている」などの記事を鵜呑みにしてきたが、少なくとも子供を産んだことはこれで完全に否定された。誤報だったわけだ)

この後Valerieの筆は、子供に対するBarbaraの異常反応、異常行動に及ぶのだが、それを読んでいると、あの声の出なかったコンサートでBarbaraが私の手をとり、それをゆっくりと愛撫し、口づけをしたのは、ひょっとしたら私をちっちゃな「子供」と思ったのではないかと、ふと思えてきた。

Barbara1112

Sophie Makhnoの発言は続く。
「私の娘が未熟児で生まれて、6週間保育器に入っていました。で、同じ時期にSerge ReggianiがBarbaraに一匹の子犬をプレゼントしました。娘が保育器から出た日Barbaraは籠にその子犬を入れてタクシーに乗って私たちの共通の友人たち全部にその子犬を見せに回ったのです。ちょっと変でしょう?」
「数日してBarbaraはお母さんと二人で私の家に来ました。とっても親切で、大きな大きな熊のぬいぐるみをくれました。楽しく過ごしました。でも後で知ったのですが、Barbaraはすごく気分が悪くなってまっすぐRemusatの家に戻れなかったんです。彼女は息が苦しくなって、Cafeに入って一休み、それからタクシーを捕まえようとしたのですが見つからず、ついに歩いてよれよれになって、とても遅くに家に帰ったそうです」
「あんなにも子供が好きなあの人が、新生児を見て完全に動揺してしまったんです」
「Andre GaillardがBarbaraに子供が生まれてお父さんになったと告げた時はBarbaraはギャラを全部彼にお祝いとして与えただけでなく、赤ん坊はどこにいるのかと繰り返し「14区のGiordano-Bruno産院」だと聞くと、早速翌朝、バラの花を手に赤ん坊を見に行ったそうよ」
Sophie Makhnoの話はさらに続く。
「彼女は養子をもらいたいと話していたこともある。それはしなかったけど、その代わり不幸な子供たちのために、大変頑張ったわ。最後の20年間は自分の友達の子供たちと、親密な関係をつくろうとした。連絡しあっていたわ。手紙やファックスや電話で。まだ7歳や8歳の子供に優しい言葉を大きな字で(これは近視のため)彼女が書くのを見るのは、おかしかったわ」
「ステイジにきた子供を見つけた時は、ほろりとなって必ず抱きしめていた」(75年のコンサートのとき花束を持ってステイジにあがった子供を、そういえば抱きしめてキスしていた。それは、子供を持てない苦悩からではなく、単なる子供好きだと思うのだけれどね)
「そしてついに永遠の慰めとして彼女は曲を書いたわ」

Cet enfant-la
Lui ressemble
Il a d'elle
Je ne sais quoi
・・・・・
Cet enfant-la
N'a rien de moi
Mais vous ressemble...

あそこにいる子
彼に似ている
彼女との子
私には無関係
・・・・・
あそこにいる子
私とは無関係
ただあなたに似た子

(「Cet enfant-la」par Barbara)
(「Cet enfant-la」par Marie d'Epizon )

(歌詞を全部読めば、確かに自分のではない彼の子供を通して自分の子供への切ない想いがあふれた母性の歌だと言うことがわかる。Barbaraが強い母性の人だったのだと言うことは、確かに言える)

Valerieの筆は、母性をあきらめ、最後に歌手、それが夢だった歌手の道を邁進すると続く。そしてその歌手が「声を失った」と次のテーマに入る。
この部分の小見出しは「Pas le choix?」(選択したのではなく、選択せざるを得なかったと言いたいのだろうか?)
これを書く3日前にValerieの出演したTV番組を見て、Valerieの顔や声を知った。彼女の文章に結構クレイムを入れたが、Journalisteとして無視できないテーマだったことはよくわかるし、放送最後の彼女の言葉を聴いて、信頼できるjournalisteだと言うことも再確認できた。
彼女は「Le hall de la chanson」という本当にすばらしいサイトを立ち上げている。そしてもう何年も前に、Barbaraの「身体の空洞」の発言事実をそこで指摘していた。
このテーマを今回初めて取り上げたのは、この文章に書き込んだような、不満や抵抗が私自身にファンとしてあったからだ。私がValerieだったら、Valerieのような光の当て方をしたかもしれない。もし私自身がjournalisteだったら
参照: 「Barbara Portrait en clair-obscur」P.176-P.179

Barbara 1959 「Les boutons dores」

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