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バルバラ来日


バルバラ来日 投稿者: bruxelles 2004/05/05 16:37:51

78年前後と思うのだけれど、一度NHKTVに出演するためだけにバルバラは来日している。その時ジュリアンクレールと一緒に来てTVにも出た。フランスの友達に確認したのだけれど、ジュリアンがバルバラのお気に入りの一人だったことは確かなようだ。バルバラが何を歌ったか思い出せないけれどジュリアンは「Cecile」と「Si on chantait(都会のマリー)」を多分日本語で歌ったような気がする。誰か証明してくれないと、なんだか昔見た夢の話のような感じもする。が事実なのです。ジュリアンがミュウミュウと結婚する前なのか中なのか後なのかは微妙です。
ジュリアンは69年ミュージカル「ヘアー」の主役を張った、もろ五月革命の世代、ヒット曲も多くエネルギッシュで素朴で昔はとにかくカッコ良かった。・・・
先日ネットでミッシェルサルドゥーを見たときはショックだった。アランシャンフォーを見たときは、ひっくり返りそうだった。ジュリアンのサイトも見ないほうがいいかもしれない。すべて他人事ではない。自分は毎日会ってるので気づかないだけなのだから。OH MY GOD!!!
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Que tout le temps qui passe
Ne se rattrape guere
Que tout le temps perdu
Ne se rattrape plus
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ひとりごと Gribouille


ひとりごと 投稿者: bruxelles 2004/05/17 18:22:50

まずこの若き日のエリザベス・テーラーを思わせる美貌(ジャケットによって異なる。念のため)に圧倒される。なんて美しい存在なのか。この目がいい。真実しか許さない目。そしてこの声!若くして何故こんなに成熟した声が出せるのか。若き日のバルバラとグレコとアンヌシルベストルを足したような声の存在感。こんな歌手があの頃目の前にいたら、熱狂を通り越して泣き出したかも知れない。高音は確かにバルバラ程の美しさはない。しかし低音はどうだ。この人は、女性でありながら、おそらくすべての少年と少女を酔わせてしまう。こんな愛に震える声は聞いたことがない。美しく生きるためには、30までに死ななければならない、という言葉をまた思い出してしまう。・・・
60年代後半、日本にもアメリカにもこのような人は、ひょっとしたらいたかもしれない。そんな気もする。そして彼も彼女も、間違いなく、あの時代の炎の中で死んだ。天に召され星になっていく何人かの無名のGribouilleの姿が、あの時代を生きた私には見える、気がする。

discography


discography 投稿者: bruxelles 2004/05/15 01:11:47

DiscographyがUPできました。1978年6月オランピア2枚組みは持ってないので、別のオランピアコレクションを取り上げました。2枚組みお持ちの方がいらっしゃれば情報提供お願いします。Discographyというのは、見る人が自分が何を持っていて何をもっていないかを知る参考になれば,充分ではないかと思いました。
私が持っていなくて一番興味があるのは、93年のシャトレ。録音は、12月10,11,12日。公演は11月6日から12月31日の予定が,12月13日で中止。しかもその前の3日と10日は休演になっている。そして12月14日には、亡くなった場所でもあるアメリカン病院に、肺炎で入院している。録音では一体どんな声を出していたんだろうか?(聞きたくないと思うくらい興味あります)

どうしても聞きたい曲があり、どのCD又はLPを入手すればいいのかという御質問には、個々にお答えしていきたいと思っております。

彼らはバルバラについて語った


彼らはバルバラについて語った 投稿者: bruxelles 2004/05/06 17:57:40

2002年12月30日Sud Ouest誌のinterviewに答えたJeanne Moreau
Ma rencontre avec Barbara m'a egalement beaucoup marquee. On se connaissait un peu,mais on s'ecrivait. Je l'aimais beaucoup. Pour elle la chanson n'etait pas une carriere mais maniere de vivre. Quelqu'un d'autre avait chante en public"Ma plus bell histoire d'amour,c'est vous",j'aurais dit"C'est une pute." Mais Barbara,c'etait sa vie. Les morts ne me manquent pas, je vis avec eux."
(バルバラとの出会いも印象的です。よく知っていたわけでは無いですが、手紙のやり取りをしていました。とても好きでしたよ。あの人にとっては、歌うことは仕事と言うより生き様なのです。ほかの誰かが”Ma plus belle histoire d'amour,c'est vous."と歌ったら、むかつきますよ。でもバルバラがいうと、真実味があります。亡くなった人のことを思って寂しいとは思いません。いつも一緒に生きていますもの。)

2002年12月2~8日号Metroのinterviewに答えたCarla Bruni
Je me souviens du choc quand elle morte.
Je me suis dit:Mon Dieu,je ne l'ai jamais rencontree,jamais vue. Pour moi,elle magique,elle n'a jamais rien eu de commun,d'ordinaire・・・.
(亡くなった時はショックでした。ああ、私はついに会えなかったんだわ。直接見ることも。あの人は、マジックよ、魔法よ。誰とも違う、どこにもいない、特別な人よ。)

2002年11月2日号雑誌FIGAROのinterviewに答えてJean Louis Aubert
Regardez chez Barbara,un des etres les plus genereux que j'ai rencontres. Elle vivait chez elle avec les volets fermes, ce qui ne veut pas dire que c'etait un coeur ferme.
(バルバラはね、わかると思うけどとっても気前のいい人だと言える、確かに。戸を閉めて家に引きこもっていても、心までは、閉ざしていなかったんだよ。)

以上今日たまたま見つけました。それぞれの方のファンの皆様に。

Paul Dikoume


Paul Dikoume 投稿者: bruxelles 2004/05/05 16:18:56

パリにいるとき知り合ったカメルーン人の友人Paul Dikoume に教えてもらったカメルーンの子供の歌です。歌詞の中に日本人が出てくるものを御紹介します。

Un petit japonais sur un vieux chemin
Conduisant son cheval ALAHIHAMA
Il chemine il chemine a travers les collines
En allant vers la ville de YOKOHAMA

英訳
A little japanese on an old road riding his horse called ALAHIHAMA.He goes on riding through the hills to YOKOHAMA.

すみれの花咲く頃


すみれの花咲く頃 投稿者: bruxelles 2004/05/04 16:09:14

小学生で石井好子さんのコンサートに言った話を日記に書いたが、シャンソンとの出会いは遡って小学校に入るか入らないかの頃だった気がする。関西の女の子だから当然宝塚歌劇ということになる。宝塚に行く約束の日に、やはり喘息の発作が出た。見送り。可哀そうに思った父が1枚の私にとっては初めてのレコードを買ってくれた。「すみれの花咲く頃」「モンパリ」唄:淀かほる。寿美花代と淀かほるの「赤と黒」。特に寿美花代のジュリアンソレルの目の使い方にしびれて以来の宝塚ファンだった。~麗しの思い出モンパリ我がパリ~。私は音でなく日本語訳でシャンソンに入っていることになる。その前後数年間、日本はシャンソンブームだったような気がする。幼児の耳にもどんどん入ってきた。日記にも書いた「幸福を売る男」の他「ポルトガルの洗濯女」「小さな靴屋さん」「河は呼んでいる」「パパと踊ろうよ」「可哀そうなジャン」「私の回転木馬」「パリの悪戯っ子」「メケメケ」「風船売り」「いつの日か」

まだコーラもジーンズも販売されてなかった日本の戦後の特殊な時期か?
私の父はまだ生きていた。イギリス海軍兵James Goss氏と、それぞれが司令官になって、海図の上で太平洋戦争のやり直しをしていた。今度は勝つぞと、ヴァーチャルに遊んでいた。
曾祖母の実家の一族は、宝塚という土地の命名者で、宝塚歌劇、温泉、阪急電車の出資者だった。祖母は少女歌劇オープンの日にVIP待遇で招待されている。幼児の私はその遠い遠い遠い薄い薄い薄いコネクションを使って裏口入学しようと「宝塚グラフ」を毎月読んでいた。まるで前世のような時代、そしてその思い出。

  すみれの花咲く頃 初めて君を知りぬ
  君を想い 日ごと夜ごと 悩みしあの日の頃~

バルバラを愛している人達


バルバラを愛している人達 投稿者: bruxelles 2004/05/03 17:50:49

バルバラに捧げられた曲、触れている曲、マリー・ポールのune autre lumiere 以外にまだありますので、少しリストアップしてみました。
・ Didier Barbelivien: A Barbara: 1994
・ Castafiore Bazooka: Parfum de dame en noir:1998
・ Sylvie Courtois: Madame B: 1999
・ Thomas Fersen: La chauve-souris: 1999
・ Liane Foly: Dame brune: 1998
・ Berbard Jauffret: Secret cache: 1999
・ Pascal Heuilland: Les desaxes: 1998
・ Patricia Kaas: D'Allemagne: 1988
・ Alain Klingler: Assis dans un jardin marin:1996
・ Serge Lama:L'orgue de Barbara:1967
・ William Sheller: Les orgueilleuses: 1981
・ Anne Sylvestre: Frangines: 1978
・ Thierry Wanek: Tu dors: 1999
・ Elisabeth Wiener: Mourir en musique: 1983 etc.

www.passion-barbara.net


www.passion-barbara.net 投稿者: bruxelles 2004/05/01 17:27:05

Cher Francois
Je suis tres tres heureuse d'avoir trouve le nom,planete barbara dans votre site. Merci beaucoup. Je ne sais pas comment exprimer ma joie,comment vous dire merci. Je vais faire de mon mieux pour repondre au bienfait de vous.
bruxelles

Dear Francois
I am extremely happy to have found the name planete barbara in your sight. Thank you so much.
I cannot find any words to express my joy. I'll do my best to reward your kindness.
bruxelles

バルバラ登場


 バルバラ登場 投稿者: bruxelles 2004/04/27 18:40:49

永田文夫氏の文章を参考にするとバルバラが日本に登場するのは1965年。ACCディスク大賞を受賞した「私自身のためのシャンソン」(SFL-7251).
私が持っている「私自身のためのシャンソン」(SFL-6020)は1975年発売。いつどこで入手したのかもはや記憶にない。この最初の一枚、売れ行きが伸びず、レコード会社に発売を進めた永田氏、随分と心配されたそうだ。日本語の歌詞をつけシャンソン喫茶の歌い手に歌ってもらった、とある。歌手の名は元女優の島崎雪子、そして前田はるみ。つまり65年から永田氏の訳でバルバラを歌っていた日本人歌手が存在したということになる。永田氏や葦原氏のご努力のかいあってバルバラのレコードはフランスでよりも日本で売れ始めた、ということをどこかで読んだ記憶もある。
70年の「黒い鷲」でバルバラはフランスでは人気歌手に。70年~75年にかけて、日本でも次々とレコードが発売された。しかし日本では75年のコンサートをもって下降線をたどる。(ご不満のある方はレコード店やレンタル店でバルバラを探せば理解できると思う。)
一方フランスでは上昇に上昇、雲隠れしても上昇、引きこもりしても上昇、休業を重ねても上昇。最後は国民的大歌手に、そして死後は伝説と神話に、信仰に。
この違い、これからご一緒に、検証していきましょう。

discogrphy(3)

discogrphy(3) 投稿者: bruxelles 2004/04/25 18:56:24

さきほどのLPの解説の続きなのだが76年自宅が燃えて、このときの体験から後に「不眠症」と題する「消防士にささげる歌」が生まれた、とある。ありえそうな話で、そういう記述のある雑誌もあるのだけれど、これは違う。70年代2度,瀕死のところを救急車で運ばれているのだが1度目は74年(睡眠薬のオーバードウズ)2度目は77年(自宅の火災)。insomniesの作曲は75年。従って火事の体験からできた曲ではない。74年自殺だと書き立てられたバルバラが、不眠症による睡眠薬の飲みすぎだと、弁明した歌なのだ。
Si s'endormir c'est mourir ah laissez moi mes insomnies J'aime mieux vivre en enfer que de mourir en paradis
眠りに入るのが死ぬことなら、不眠症のままでいい。天国で死ぬよりむしろ地獄で生きるほうがいい
ーー三島由紀夫の後追いと書き立てられた村松英子さんの心境もかくありや。止まっているトラックに猛スピードで激突した私なども。もし死んでいれば、自殺と処理されたに違いない。

biographyにしろdiscographyにしろ情報が錯綜する。細部を見れば見るほど行き詰る。限定発売もあれば、未発表、廃盤もあれば,同じアルバムが何度もプレスされる場合もある。写真だけが異なる同一盤もある。discographyに関しては,現地(フランス)発売の33回転及びCDに限定しようと思っている。

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