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Michel Colombier


Michel Colombier 投稿者: Bruxelles 2004/11/20 18:58:20

Michel Colombierが65歳で11月14日日曜日カリフォルニア州サンタ・モニカの自宅で癌のためになくなった。バルバラの生涯には欠かせない人だった。たくさん一緒に仕事をしている。いつか書かねばならないと思っていた。
死後のプレス報道がかなりある。いつか書いてみたい。ご冥福をお祈りいたします。


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投稿者: Bruxelles 2004/11/21 18:27:04

Michel Colombierと仕事をしたArtistは非常に広範囲におよぶ。彼のこと、おいそれとはなかなか書けそうにない。Barbaraとのエピソード等は後に書くとして、とりあえずバルバラのアルバムに彼が手をかしているもの、つまり彼の音が出ているものを列挙してみると、以下のようになります。後半は彼がアメリカに渡ってしまうので。
○1967年「Ma plus belle histoire d'amour」
○1968年「Le soleil noir」A面2曲目に唯一Michel Colombier作曲バルバラ作詞「Plus Rien」が入っている。
○1969年「Une Soiree avec Barbara」
○1970年「L'aigle noir」
○1972年「La fleur d'amour」
○1972年「Amours incestueuses」(参加形態未確認)
○1981年「Suele」
確認済みのものは、彼のオーケストラが録音に参加している。



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投稿者: や 2004/11/24 12:58:16

へえ、コロンビエは、「ホワイト・ナイツ」(バリシニコフ vs ハインズ!!!最高のダンスシーン)や「パープルレイン」を!どっちも、ライオネル・リッチーとプリンスだと思ってました。
プリンスとバルバラ、どうやったら結びつくか、なんて、これ知らなければフレディとバルバラよりずっとわからないですよね。


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Michel Sardou


Michel Sardou 投稿者: Bruxelles 2004/10/28 18:23:43

10月6日から11月13日までオランピアに出演中のMichel Sardou,バルバラの「L'aigle Noir」を歌っているそうです。Sardouなら迫力のある「黒いわし」になってることでしょうね。


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投稿者: Machinist HOME 2004/10/30 15:37:08

Bruxellesさん、こんにちは。

黒い鷲で思い出しましたが
CHANSON FLAMENCAというアルバムで
スペインの女性歌手が歌ってます。
ここで聴けると思います。
http://www.chansonflamenca.com/
Talis/fr_chansonfla_chanson.html
まあ、この歌唱はまあまあかと思いますが
このCDアルバム、フラメンコの12組みのグループが
シャンソンにチャレンジしています。
なかで、ラ・ボエームはかなり凄いです。お奨め♪

no title 投稿者: Raffaella Benetti


no title 投稿者: Raffaella Benetti HOME 2004/09/15 01:05:54

J’ai connu les chansons de Barbara il y a 14 ans, parce qu’un ami de Paris me les a fait connaître. Je suis italienne et Barbara est presque inconnue dans mon pays (je devrais dire totalement, mais il y a une dizaine de personnes qui la connaissent!). Je chante et j’aime beaucoup la chanson française (de Brel, Brassens, Piaf, Trenet), et j’adore la langue française. Normalement je chante en français, mais les textes, dans les chansons de Barbara, sont tellement importants (et tellement beaux) que j’ai voulu les traduire pour les faire comprendre en Italie. Voilà pourquoi je chante un peu dans l’originel français et un peu dans ma traduction italienne.
Mon spectacle est un hommage a la vie et a l’œuvre de Barbara. Je raconte d’elle et je la chante.
J'essaie de la faire connaître et aimer. Je vois que tous ceux qui l’ecoutent apprecient ses textes, ses chansons. Et je trouve que c’est un bon service a sa memoire, quand quelqu’un, après le spectacle, me dit de vouloir en savoir plus.
Ce qui m’a le plus surpris, dès que je chante Barbara, est de voir qu’il y a tellement de gens qui l’aiment un peu partout dans le monde.
Voilà meme au Japon un beau site, plein de respect et d’amour pour cette grande femme.
Je suis contente d’avoir un lien avec celui-ci.
Merci Mariko.



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投稿者: Bruxelles 2004/09/15 16:33:19

EVVIVA! Benvenuta! Grazie mille RAFFAELLA!
Vous etes la premiere chanteuse dans le monde qui a ecrit dans mon BBS.Vous etes gentille. Je suis tres heureuse.
Je crois que vous avez le coeur de Barbara. J'ai lu votre traduction en italien et je trouve qu'elle va tres bien avec la melodie. Vous devez avoir ecoute les disques mille fois pour transmettre les paroles de Barbara avec son coeur sans corrompre. Je pense comme ca,c'est parce que moi aussi je traduis ses chansons en japonais. Il me faut mille et une heures par une.
Je doute que personne puisse le faire vraiment bien,sans amour pour Barbara.
Demain 16 septembre vous aurez votre concert a BOARIO TERME(Quel nom!).
Vous etes n'importe ou ,la dame brune vous regarde attentivement et vous encourage tendrement. Bon courage!
Bon, Alors,je vous remercie encore une fois pour vos mots amicaux.
Je voudrais attacher beaucoup d'importance a cette rencontre formidable avec VOUS sur l'ordinateur.
Hypnotiquement heureuse, Ciao.Bruxelles


話題のbarbara論からの引用


話題の文からの引用 投稿者: Bruxelles 2004/09/09 17:21:05

例1-「ジュテーム」でヴェルテメールがバルバラとデュオしているが、大味な歌い口でも鈍重な声質でも、ピアフの晩年に汚点をつけたテオ・サラポを連想させる。

例2-アナログ盤のトップにあった「ひとり」がカットされている。危篤の病人が喘ぎあえぎ遺言をしゃべっているような、かすれ声のあざとい効果以外に何もなかった曲だから再録はさすがに憚られたのだろう。

●筆者の主観と心の波動が伝わる文のほうがある意味で楽しい。しかし、ここまで主観的だと、いささか説得力に欠ける。
ただしこの文には情報として他に、ファンに有難い記述もある。以下に引用する。


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投稿者: Bruxelles 2004/09/09 17:42:42

例1-バルバラは53年、一文無しでパリに舞い戻る。ヒッチハイクで旅したこのときの経験が、四半世紀後「ムッシュー・ヴィクトール」の中で歌われている。

例2-この頃テレビの音楽番組で司会をやっていたドニーズ・グラゼールなる女性がバルバラの歌に熱中し、番組で盛んに放送した。このおばさん、絵作りの必要から実在しないレコードのジャケットまででっち上げたそうである。

○Mr.VictorとDenise Glaserに触れた初めての日本語。記述は両方とも事実。一人は国境を越える証明書のないヘトヘト徒歩のBarbaraを、道で拾ってパリまで届け、その上ご馳走を食べさせてくれた恩人。一人はバルバラの売り出しに多大な貢献をしたMadame。でっちあげたジャケットとは、録音前の「Nantes]
バルバラの他に、彼女がスターへのきっかけを与えた歌手たちの名を列挙すると:
CatherineLara,Moustaki,Brel,Hallyday,Ange,Maxime Le Forestier,Sardou,Yves Simon等等ーNana Mouskouriの「Marie se marie」の作詞もしている。
あまりに左翼的過ぎて68年から3度降板させられ、74年ついにお払い箱に。81年ミッテラン政権登場するも、声はかからず。失意のうちに1983年6月7日63歳で死す。Saint Roch de Valenciennes墓地のイスラエル区画に眠る。葬儀参列した歌手は、BarbaraとCatherine Laraのみ。



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投稿者: Bruxelles 2004/09/09 17:56:54

Denise GlaserがBarbaraをDiscoramaに出演させた放送日を蛇足的に列挙すると:
1959年4月14日、1960年12月2日、1962年4月1日、1962年9月6日、1963年4月28日、1,964年5月17日、1964年10月25日、1965年9月26日、1966年2月20日、1967年10月1日、1968年12月29日。出演によって知名度が普及した推移が読み取れる。



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投稿者: Bruxelles 2004/09/13 17:10:53

Denise Glaserが東京音楽祭審査員として1974年、1975年の2回来日していることを発見、追加情報といたします。
(「シャンソン・フランセーズ その栄光と知られざる歴史」ピエール・サカ著より)

バルバラ論について 投稿者: BARABARA


バルバラ論について 投稿者: BARABARA 2004/09/04 16:05:32

もう何年か前になりますが、たしか「レコード芸術」に
蒲田耕二さんが、何回かにわたって、「バルバラ論」を書かれた事があります。バルバラ全般に亙って、とても客観的な書き方で終始され、細かい点では読んでいて反発もあり、異論もありましたが、実に整然とした、みごとなエッセイであったと記憶しています。バルバラについては、「薔薇色のゴリラ」ではやく塚本邦雄氏が触れられ、あとはバルバラが来日した折の新聞、週刊誌などでの紹介的な短文、リサイタルでのパンフに書かれた著名人の適当な感想文ぐらいで、蒲田さんのこの時のエッセイほど、充実したものを、私は目にしたことがありません。あれをもう一度読み直してみたいと思いましたが、何処へ行ったか紛失したままです。かなり前に蒲田さんの評論集をアマゾンでみつけて買ってみましたが、
その本には、入っていませんでした。もし雑誌の掲載が何時頃のものであったか、ご存知の方、おられましたら、教えて下さい。


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投稿者: Bruxelles 2004/09/07 13:39:29

出典はわかりませんが多分同じと思えるものを持っています。まず訂正を
{この歌(私の幼い頃)のテキストに出てくるジャン、クロード、レジーヌなる人名は亡くなった兄弟の名前である。}
バルバラ自伝の巻頭に3人の連名で、中断された自伝の出版判断の経過を、そして判断理由を元気に生きて書いています。強制収用所で亡くなった近親者もいません。生死に関することなのでとりあえず訂正を。

ナチから身を潜めているとき、家の前を自転車で通る少女を目撃します。その少女はバルバラの目には、自由そのものに見えたとか。その女の子は、後にバルバラと親しくなるフランソワーズ・サガン。こんなことは「バルバラ論」には書かれていませんが。ではどんなことが書かれているか、いつか機会があれば、1,2例を書いてみます。



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投稿者: Flamand HOME 2004/09/07 16:17:17

蒲田さんは、声を失った後のBarbaraに関しては「抜け殻は聴きたくない!」といった調子の非常に厳しい評論をしていたことを思い出します。



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投稿者: Bruxelles 2004/09/07 17:14:29

お気持ちわからない訳ではないですが。多分愛情プラス歯痒さ、の反動。バルバラだってどれだけ”バルバラの声”失いたくなかったことでしょう。



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投稿者: BARABARA 2004/09/09 00:35:47

Bruxellesさん、私はフランス語がだめなので、日本語で書かれた情報に頼らざるを得ません。Flamandさんが触れておられますように、蒲田さんは、声を失ってゆくバルバラの気持ちを素通りして、冷たい態度で(よく言えば、冷静に、客観的に)批判的に書かれていたので、
この方は歌だけ聞かれて、心は聞かれないのだろうか、(秀才過ぎる方の欠点)、と思ったものですが、根本的な事実誤認があるとすれば、
また話は別ですね。私は、1988年のリサイタルは大阪フェスティバルホールで聞きました。その二日前の、東京昭和女子大人見記念講堂での公演は、体調不調のため、急遽キャンセルされていましたので、その日も心配しましたが、バルバラは歌ってくれました。もちろん、1975年
来日の時のような声は聞くことが出来ませんでしたが、出ない声で歌う壮絶なステージは、かえって、感動的でさえありました。聴衆のなかには、途中で座を立って帰った人もあった、と
いう話も後から耳にしました。またPRで持ち上げられた、バルバラの名声につられて、日本のセンチメンタルなシャンソンが、シャンソンだ、と思い込んでいるような、オバサンたちは、はじめてバルバラを聞いて、、どこが
エエのか、さっぱりわかれへん、と関西人らしい、率直な意見を述べていました。その時、私は、「声の出ないトコがエエのんや」と苦笑して、バルバラの弁護をしたのを覚えています。
Bruxellesさんや、Flamandさんのような、シャンソンに詳しい方が、このように、いろいろ、書いてくだされば、ほんとに有り難いことです。バルバラをどのように聞き続けるか、ということは、自分の生き方、(感情生活?)などに、案外深くかかわりあっているように、私には思われるのですが。



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投稿者: Bruxelles 2004/09/11 18:06:44

蒲田氏のご努力のおかげで発売されたバルバラのレコードもある。「バルバラの声」を出さないバルバラが歯がゆいのだと思う。一人のプロの歌手としてとらえて。
・・・・・・・・・
biographyにある、1969年のオランピアの最後にしたバルバラの発言が、不意に気になりだした。契約の残っている2年間はステージをこなすが、以後はほかの事をしたい。BrelやBejartと、コンサート以外のことがしたかったようだ。
Cortisoneの使用が71年、初めの失声による舞台の延期は70年、だとしたら、69年に何らかの本人の自覚があってもおかしくない。

William Sheller


William Sheller 投稿者: Bruxelles 2004/06/08 18:04:37

1973年のLa Louveにふれて、Francois Wertheimerに触れたら、このアルバムのサウンドを仕上げたWilliam Shellerも取り上げなければならない。このアルバムが他と違う音を出しているのは、どうやらこの人の仕事のようだ。・・とにかくいまLPを回している。・・・1946年7月9日パリ生まれ。シェラーはドイツの詩人シラーとイギリスの詩人、シェリーの名を合わせて命名した。1978年6月第8回東京音楽祭に来日している。88年も来日しJapanese symphony orchestraと共演している。Gabriel Faureの弟子のYves Margatの弟子になったことがある。67年から作曲と編曲に専心し68年The Irresistiblesの「My Year is a Day」で作曲者として最初のヒット。ロックにあこがれた、クラシック畑の人。・・・ここでよく耳になじんだ曲が聞こえてきた。タイトルを見たら「思い出の彼方に Le Carnet a Spirale」。解説を見たら彼の大ヒット曲とある。LPタイトルは「Dans un vieux rock n'Rollバラ色だったロックンロール」。ゲンスブールとシャルル・トレネが目標だったようだ。Catherine Laraとは友達で「Catherine」と「Le Violonaire francais」という曲を提供している。98年には25年間の活動の中からGreatest Hits集を出しそのアルバムタイトルは"Tu devrais chanter"(You should sing)。これはすなわちわがバルバラへのトリビュートアルバムである。オランピアに何度も出演しているし、ヒット曲もかなりあり、キャリアも長い。結構有名な歌手ということ。この前Chouchouさんが反応して下さったように、VelvetにWilliam Shellerの本格的なファンは、またいないだろうか。ただ、感想をいえば、ロックにしてはこの方、存在感が少し弱い気がする。



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投稿者: なまはげ 2004/06/08 20:26:04

bruxellesさん今晩は。
William Shellerは1992年「URGENCE(27 ARTISTES POUR LA RECHERCHE CONTRE LE SIDA)」でBARBARAの「Vienne」を歌ってます。



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投稿者: Bruxelles 2004/06/09 18:54:01

なまはげ様
いつも情報有難う。エイズの運動そのうち取り上げます。そのうち、といっても、年末かひょっとしたら来年になりそうですけど。また、その時も、どうぞ宜しく。

追加:
このCDのこと、もう少し詳しく教えてもらえませんか?発売日、番号、会社、ほかの参加しているアーティスト名。主張のコメント内容。どんな人が参加してどんな曲を歌っているのか知りたいです。Vienneを歌ったという記録しか見当たらないのです。
サンローランの引退記念セレモニーでドヌーブが、Ma plus belle histoire d'amourを歌ったという話は、想像して結構グッと来ました。



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投稿者: なまはげ 2004/06/13 21:55:35

Bruxelles様とりあえず参加歌手と曲名を。

CD1.
1.ALAIN CHAMFORT「Maladie d'amour」
2.ALAIN BASHUNG「Les mots bleus」
3.JEAN-JACQUES GOLDMAN「L'absence」
4.MANO NEGRA「Soledad」
5.STEPHAN EICHER「Can't Help Falling In  Love With You」
6.ETIENNE DAHO「Dommage que tu sois   mort」
7.MICHEL JONASZ「Frenchy Bebe Bluse」
8.Patrick Bruel&Jacquse Higelin
 「Je ne peux plus dire je t'aime」
9.FRANCIS CABREL「Quand j'aime une fois j'aime pour toujours」
10.JANE BIRKIN「Les goemons」
11.JULIEN CLERC「Histoire vecue」
12.JEAN-LOUIS AUBERT「Tu dois tenir ma main」
13.INDOCHINE「Tes yeux noirs」
14.JIL CAPLAN「Les mots」

CD2.
1.PATRICIA KAAS「La vie en rose」
2.JOHNNY HALLYDAY「Loving you」
3.MYLENE FARMER「Dernier Sourire」
4.RENAUD「Toute seule a une table」
5.ALAIN SOUCHON「Le bateau mouche」
6.WILLAM SHELLER「Vienne」
7.LES GARCONS BOUCHERS/PIGALLE
 「Pascal le keupon et l'amour」
8.MARC LAVOINE「Juste le temps de vivre」
9.FRANCOISE HARDY「Si ca fait mal」
10.PIERRE BACHELET「Partis avant d'avoir tout dit」
11.LIANE FOLY「Be My Boy」
12.JACQUSE HIGELIN「Un aviateur dans l'ascenseur」
13.SYLVIE VARTAN「Aimer」

以上です。



Francois Wertheimer


Francois Wertheimer 投稿者: Bruxelles 2004/06/01 17:32:32

1973年10月31日Philipsから出たLA LOUVE。ここに突然謎の男Francois Wertheimerが登場する。Musique pour une absenteを除いて、アルバム全曲の作詞をし、さらにJe t'aimeと言う悩ましい、聞きようによればゲンスブールの「Je t'aime moi non plus」以上に想像力をかきたてる歌をデュエットしている。私の友人の中にはこの曲が一番好きという人までいる。このフランソワ・ウェルテメールなる男に関して、名前以上何も日本に紹介されなかった。昨日偶然情報を得たので記しておきたい。1948年前後生まれ。一見Julien Clerc風、一見Polnareff風。とにかくアーティスト同士の一目ぼれ的出会い。バルバラが新しいアルバムの作詞を依頼。「MARIENBAD」「鏡の向こう側」「ミノトール」「MR.カポネ」「雌狼」etc.の難解な作品が生まれた。「MARIENBAD」は4分40秒の曲だが決して長いとは感じさせない。1974年3月9日号の「Tele 7 jour」には、mime(パントマイム俳優)、illusionniste(手品師)、ダンサー、猛獣使いと紹介されている。自宅で1年間2頭のライオンと1頭の雌ヒョウを飼っていたというから、バルバラでなくても興味を持ってしまいそうな青年だったに違いない。15の楽器が演奏でき、その中にはコルヌミューズ(小型のバグパイプ)もある。ローラースケートに乗って、火を吹いたり、奇術を見せたり、様々な曲芸もできる。才能がひとつだったら、ジュリアン・クレールを抜いていたかも知れない。才能が有りすぎて同じことをずっとするのが多分いやなのかも知れない。男と女の化学反応のせいか、このアルバムのバルバラ、一番声に艶があると思うのは、筆者の下衆の勘繰りだろうか。


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投稿者: chouchou HOME 2004/06/03 03:11:53

Francois Wertheimerのお名前が出てキャっとなりました。バルバラの「ジュテーム」生き生きとした感じ、素敵ですね。この辺りの作品はロック色が濃くなりカッコイイですよね。

Wertheimerはプログレファンではなかなか熱狂的なファンが居ると思われます。私が彼の存在を知ったのはルイス・キャロルのアリスの朗読作品をジャケ買いしたのが最初です。きっと、フランスでも熱狂的な支持者が多いと思われます...。嘗て、アニエス・ヴァルダの「歌う女、歌わない女」に」出演と音楽の一部を担当していました。その作品も好きです。日本での人気というと一部の支持者を持ち続けているに過ぎない状況の様に感じます。最近どうされているのでしょう?でも、少なくともVelvet Moonのお客様には居られますよ。でも、こうしてBBS上でお話させて頂くのは私は初めてで嬉しいです。ファンタジックなイメージの強いアーティストですね。猛獣使いだったのですね。多芸な方だということも知ることが出来ありがとうございます。

お知らせ!!


お知らせ!! 投稿者: なまはげ 2004/04/29 19:48:09

bruxellesさん今晩は。今日はマリー・ポール・ベレ秋田公演のお知らせを。
一昨年の9月に秋田で音楽好き仲間でレクリューズの会を発足させました。その幹事4人のうちの自分も一人です。そのレクリューズとFM秋田主催で行ないます。詳細は下記のとおりです。

マリー・ポール・ベレ シャンソン・リサイタル
時:7月13日(火)PM6:30より(開演6:00)
所:秋田市アトリオン音楽ホール
チケット/4000円(税込)全席自由
主催/FM秋田・秋田シャンソンファンクラブL’ECLUSE

前半オリジナル曲/後半バルバラの曲を歌う予定です。
他のところでも公演がありますが日本人歌手の方が前座に出る予定で秋田のみマリー・ポール・ベレ一人の公演です。(秋田ではいっぱい曲が聞けます。)

宜しくお願いします。チケット欲しい方はなまはげまでメールでご連絡下さい。

「バルバラ追っかけ」続編ゆっくり待ってます。


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投稿者: bruxelles 2004/05/01 17:57:48

MARIE PAULE BELLE

Marie Paule Belleを知らない方のために少し記述しておきたい。私がなまはげ氏の告知にBravo!と叫んだ理由がお分かりいただけると思う。彼女はまずバルバラを歌いに来るからだ。十分キャリアも人気もあるベテラン歌手が歌手生命を賭けて数年前からバルバラを歌い始めたのである。

バルバラのバも一切口にしないで、平気でバルバラを歌う歌手ではない。バルバラ、一度歌ってみようか、という歌手でもない。彼女は私やあなたと同じくバルバラの心を伝えたくて、心ときめかせ、批判に晒されるのを覚悟で、・・つまりバルバラファンの心理を熟知した上で、同じ心で同じ暖かさで歌う歌い手なのだ。

<私が歌手になったのはバルバラがいたからです。>
<バルバラファンの方々の前でバルバラを歌うことはこの上なく光栄です。>
<私にはファンの方々の心の中の思い出を壊す権利はありません>
<私はバルバラを真似るつもりはありません。成りすますつもりもありません。私は私に拘ります。それでいてバルバラのエスプリを完全保存した上で表現したいと思っています。困難なことですし、人の力の限度というものもありますが。>

ただバルバラの歌とまともに勝負を挑んでその重さに耐えられる人などいない。おそらく軽い選曲をしてくる筈だ。以下私の情報から推測できる選曲を予測してみよう。あくまでも予測だけれども。
オープニングは「リヨン駅」または「Toi」軽いものと重いものが交互にきて、場が窒息しないように工夫するはずだ。そして最後か最後の前に Une autre lumiere を歌うはずだ。これはMarie Paule Belle が1999年にバルバラに捧げた自作の曲である。

Comme toi je ne sais pas dire je t'aime
Mais a ma facon
J'ai voulu te le dire quand meme
Dans une chanson

(あなたが歌で歌ったように、私も愛しているとは、言うことができません。私はそれでも、私のやり方で、曲を作って曲の中であなたに言いたかったのです。私はあなたを愛していますと。)



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投稿者: なまはげ 2004/05/01 20:12:31

bruxellesさん今晩は。
マリー・ポール・ベルの紹介・解説ありがとうございました。またプログラムの予想をしていただき楽しく読ませていただきました。
プログラム来週手に入る予定です。どのようなプログラムかまたbruxellesさんの予想当たっているかワクワクですね。

UNE AUTRE LUMIERE「ひとすじの光」残念ながらCD持っていませんがM・P・ベルのサイトに詞が載ってます。bruxellesさんは知っていると思いますが他の人の為に。

http://www.pattypat.net/mpb/lumiere.htm

bruxellesさん全部訳していただけますか?よろしくお願いします。




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投稿者: bruxelles 2004/05/02 17:13:50

なまはげ様
告知をよく読むと前半オリジナル曲と書いてありました。早とちり。ぜんぶバルバラかと思っていました。
歌詞のほうは専門家にお任せします。これを訳して、あれを訳さないというわけにいかないので。御免なさい。あの部分は、ちょっとグッと来てしまったので、勇み足でした。貴乃花に負けた武蔵丸のように。
プログラム決まればまたここで案内してくださいね。

蛇足


蛇足 投稿者: bruxelles 2004/04/26 17:55:43

また見つけてしまった。バルバラの子供説。75年発売 PHILIPS STEREO SFX-5015「愛の華・バルバラ」葦原英了解説。・・・若い貴族の医者に一目惚れして結婚したからである。子供も出来たが、2年後離婚してパリへ戻ってきた。・・

葦原英了氏と永田文夫氏両氏によってバルバラは日本に紹介されたと言っていい。この子供説、無視せずに検証せねばならない。(フランス側にこの記述はない)
ただし情報の少ない時代に対する、過剰な反応も慎まなければならない。

同じ解説に70年の来日のことが書かれている。武道館で3曲。”長身と鋭角的な顔に物を言わせて、堂々と歌い1万人以上の聴衆をうならせてしまった。”とある。同じ日IBM主催で読売講堂でリサイタルが行われ、ここでは30曲以上歌った。と記されている。

私はあるレコード店で「バルバラを買え」「バルバラを買え」と言う葦原英了氏の声が聞こえてきて最初のLPを買った。実はその前の70年サンケイスカラシップで渡仏していた京大の人たちが持ち帰ったレコードで、一部にバルバラの名声はすでにあった。私も北白川の車椅子の女性の新しいマンションで、「黒いわし」を70年に聞いている。ただ私が未熟すぎて馬の耳に東の風だった。衝撃的であるべきバルバラとの初めての出会いなのに。

蛇足の蛇足だけれど、そのとき私はショックを受けていたのだ。このマンションの女性(京大生)と男子学生(京大生)が留学中のドライブで、交通事故を起こしこの女性の下半身の自由が奪われたのだった。・・浮上したのが、留学生の身分と自動車保険の問題。男子学生がまめまめしく介護していた姿が目に残っている。保険の問題は時間はかかったが異例の配慮で解決をみた。が、若い二人が背負った暗い雲の重みに、私の鼓膜がツーンと詰まってしまったのだった。


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投稿者: なまはげ 2004/04/30 17:41:13

2点ほど見つけました。バルバラの子供の話。1969年「オランピア劇場のバルバラ」SFX-7274解説は葦原英了さん「愛の華」とは違う説。引用始 20才の時、ベルギーにゆき、ブリュッセルでナイト・クラブを経営した。そしてそこに現れた人形使いと恋に落ち、結婚して子供を生んだ。しかしその結婚は破局に終り、2年後、パリに舞い戻った。 引用終り。
もう一つこれは某雑誌のコピーから、 引用始め 彼女がいうには、自作のテキストはすべて実際の体験に基づいているのだそうで、つまり彼女の人生はそれだけ多く人の死に遭遇したのだろう。(噂に聞くだけだが、ブリュッセルでうたっていた時代に幼いわが子を火事で亡くしたともいう。) 引用終り 
MY BIG ARTIST列伝 不滅の名盤はこれだ! 今月のアーティスト「バルバラ」解説が蒲田耕二氏です。1992年発売されたバルバラの13枚組CDBOXの内容を解説してます。どの説が正しいのか?

リアルタイムでバルバラのレコードを最初にかったのが1975年の「不倫」でした。それから中古盤探しが始まりました。1965年「バルバラ/私自身のためのシャンソン」「ボビノ座のバルバラ・リサイタル’67」幻のレコードと言われた東芝EMI「レクリューズのバルバラ」EPICソニーからの「いつ帰ってくるの?」、「愛の華/バルバラ」「私のシャンソン/バルバラは歌う」これ位しか探せませんでした。DiscographyのUP頑張って下さい。



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投稿者: bruxelles 2004/04/30 18:42:43

反応してくださって、有難うございます。これは大問題ですよねえ。bruxelles時代忙しくて時間的にそれはないと思うのですが、姿をくらませていた一年間というのも事実あるんですよね。後で調べますが、火事で死んだのは、私はほかの人の子だと思っています。
discography とんでもなく遅れてるんですよ、本と。売れるようになってから、同じのやら、昔のやら、何度も何度も出てるんですよね。今書いているのを、4分の1くらいにすっきりさせて、ポイントを抑えたものにしようと思っています。こんなこと意味があるのかな、レコードやさんに聞けば終わりじゃないかとか、いろいろ自分自身とも格闘しています。かなりへとへと。

私はテイプも入れれば、たいていと言っていいほど持っていますが、それでも、なまはげさんがお持ちで、私の持っていないものも、あります。子供の件、必ず調べます。カキコ有難うございました。

いきなり掲示板からのお尋ね


いきなり掲示板からのお尋ね 投稿者: bruxelles 2004/04/03 13:00:57

1933年生まれ,50年代はじめに活躍したNicole Louvierについて。1958年10月来日し東京共立講堂でコンサートを行った際、出かけられた方。約1ヶ月日本に滞在していた際、会われた方、レコード又は小説をお持ちの方、よかったらお話お聞きしたいのですが、ご連絡お待ちしております。

もう一人バルバラが自伝で触れていて、Les Amis de Barbaraでも再評価の動きのあるGribouilleについて。どんな声で、どんなファン層を獲得していたのでしょうか?Gribouilleにあわれた方、レコードをお持ちの方、思い出をお持ちの方、ご連絡お待ちいたしております。どうぞ宜しく。


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投稿者: なまはげ 2004/04/18 13:40:59

bruxllesさん今日は。
大野さんのところからのお誘いでやってきました。バルバラ好きですがbruxellesさんの域までは達してません。何せフランス語もいまだチンプンカンプンですので。

1975年のバルバラも見たのですね。(自分はまだシャンソンをかじってなかったので)確か大阪万博の時ですよね。1988年1月30日東京郵便貯金ホールで自分は聴きました。中止と言う噂も有り不安な上京でした。ですから中止にならず公演が終わった時は声が出るとか出ないとかは気にもならなかったですね。新聞の評論も様々でしたね。(切り抜き有りますが)
3列21番という席でした。バルバラが思ったより大きく見え迫力が有りました。1990年9月に来日した時は残念ながら行けませんでした。まバルバラの話はこのへんで。

Gribouilleグリブイユについてでした。バルバラの自伝を持っていないので再評価されているとは知りませんでした。グリブイユは自分も知りませんでしたが友人が多分葦原英了さんの放送で聴いたらしく(2曲くらい紹介?)レコードを探してくれと頼まれてからです。LPを見つけた時はすでにCDを購入してました。La chance Aux chansonsのシリーズのvol.28「Mourir De joie」全19曲でした。それからLP(邦盤)が手に入りました。「シャンソンの新しき花」の5枚組です。この中の第3集にグリブイユの曲が1曲「明日に死す」というタイトルです。(1965~1966年のパリのヒットパレードを賑わした中から選んで収めたLP)グリブイユはほとんどの曲の作詞をしている。作曲はシャルル・デュモンやジャック・ドゥブロンカールなども見える。仏盤ではベスト盤でAZの頃のが3曲入っている1枚が有ります。パリの雌豹と言われたニコレッタのジャケットに似て目線も鋭く髪がショートで迫力のあるジャケットです。(他に2枚見たことがある)声も何とも言えない魅力がまた歌唱力は勿論あります。(好き嫌いがあるでしょうが)長くなりますが最後に「明日に死す」の詞を。
これからも宜しく。

「MOURIR DEMAIN」

je vais mourir demain
au poteau de la gare
fusillee par un train
au chant des rails noirs

je vais mourir demain
de ton dernire sourire
et de trop de chagrin
et de te voir partir

je vais mourir demain
aux portes de la ville
ton nom dans chaque main
et ce sera facile

je vais mourir demain
de ton dernier voyage
et de trop de chagrin
qui me coute un naufrage

je vais mourir, c'est bien
et Je ne t'en veux plus
D'autres sont morts pour rien
Moi,de t'avoir perdu

et je meurs ce matin
mais il faut que tu penses
Que ca ne change rien
Toi,tu pars en vacances.....

明日死ぬのだ
駅の柱にもたれて
汽車に射たれ
黒いレールの歌に送られて

明日死ぬのだ
あなたの最後の微笑みに
あまりの悲しみに
あなたの去るのを見て

明日死ぬのだ
町の出口で
両手にあなたの名を握りしめて
それはやさしいことだ

明日死ぬのだ
あなたの最後の旅に
あまりの悲しみに
おぼれて死ぬのだ

私は死ぬのだ。いいことだと思う
もうあなたをうらんではいない
他の人は何でもないことのために死んだ
私はあなたを失って死ぬのだ

朝になった、私は死ぬ
あなたはこう考えてほしい
別に何も変らないと
あなたはバカンスに出発するのだから
 





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投稿者: なまはげ 2004/04/18 13:50:50

PS.グリブイユのCD(1枚のみ)はまだAmazon.frで購入できます。



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投稿者: なまはげ 2004/04/18 14:10:26

PS.2
詞をカキコしたら疲れて忘れていました。
bruxellesさんバルバラのサイト立ち上げおめでとうございます。

それとグリブイユですが1940~1968年と短い人生でした。聞いた話ですが亡くなった原因は不明で謎らしく色んな噂があったようです。(薬物の中毒死らしとか)これ以上知っている事はないです。



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投稿者: bruxelles 2004/04/18 16:35:33

なまはげ様、カキコ及び情報提供有難うございました。万博は1970年です。でもどういう訳かバルバラは万博の時に来た、という情報ずっと流れていますね。私も70年と思ってましたが69年が初来日のようです。目線も鋭く,髪がショートで・・という写真Les Amis de Barbaraから送られてきました。私の友人の若い頃をふと思い出させる顔で、とても興味を持ってしまいました。確認していませんが私のinput情報では彼女は焼身自殺です。mourire demain はまさに遺書ですね。死に到る恋をしたのでしょうか。

’75年のバルバラは最高でしたよ。あの時会場に来た非常に強烈な個性を持ったバルバラファンの人達(何処にこんな人達がいたのか,何処から湧き出てきたのか、と思いました)何処に行っちゃったのでしょうか。
こちらこそ、どうぞ宜しく。



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投稿者: bruxelles 2004/04/19 17:11:52

思い出したこと:
'75年のコンサートの後、石井音楽事務所から入手したバルバラの住所を握り締めて、バルバラを追って渡仏しました。ところが途中のベルギーのbruxellesで脱線。place de la paix ivreでグラン・カッフェの女主人Behets Roseと出会いました。そこで居候の身となり、l'aigle noirと名乗って、町中の人と友達になりました。本来自分のいる場所はここだと思うくらい気の合う人たちに恵まれて。ただ、甘やかされ、箍が外れたまま、Paris 東駅に到着。到着3日目に、盗難にあい、身包み剥がされてしまったのでした。


なまはげ様へ
パリの雌豹と言うよりも、ニコレッタはスケ番顔、グリブイユは、多くを語る詩的な顔だと思います。ただひょっとしたら、バセドー氏病が入ってるかも知れない。…言いたい放題ですね、全く。
グリブイユに着目していらした、あなたのお友達にも、どうぞ宜しくお伝えくださいませ。



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投稿者: なまはげ 2004/04/19 21:16:50

bruxellesさん今晩は。
勘違いでした。1988年に来たのがてっきり2度目と思っていましたのでそれと昔の記憶で万博で聴いた人の話しを思い出したつもりでしたが記憶が曖昧でした。万博の前にも来日していたのですね。間違いなく万博は1970年ですね。

ニコレッタのすけ番あってますね。ニコレッタも好きな歌手の一人です。グリブイユで何時も思い出すのが何故かニコレッタでしたので。

餌につられてカキコしましたがbruxellesさん確り情報を持っておられるんですね。ここを覗きに来た方には勉強になっていいですがね。グリブイユのサイト今はなくなってましたね。サイトに顔だけ載ってました。

diaryのバルバラを追っかけて渡仏した話もっと聞きたいです。そのうち続編でも。(bruxellesさんの友人ではないですがエピソードがたくさんあり本になりそうですね)
それではまた



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投稿者: bruxelles 2004/04/29 18:04:44

たとえば、盗難の後処理について書けばこれからこの連休に海外旅行に行く人に参考になるかも知れないけれど今ちょっと頭のピントがそこに合っていません。続編しばらくお待ちくださいませ。関係付けしなければならないのは、警察、大使館、航空会社、銀行、写真屋、それからとりあえずの当座の宿。誰に言われて来たわけでもなく、自分の意思で来たのだから、SOSを発する先が無い。その時、これは交通事故で大怪我をして、でも病院へいけない状態と同じだなって思いました。動物のように傷を自分で舐めて少しづつ治すしかない。今風の言葉で言えば、自己責任。甘やかされてきた私にとってはすごくつらい体験でした。
へとへとの時夢の中に亡くなった祖母が現れ、ウルトラマンのシュワッチみたいな言葉を発して、勇気付けてくれました。その時、盗られた場所に毎日でも張り込んで、自分で取り返そうと思ったのでした。

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