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discography(つづき)


discography(つづき) 投稿者: bruxelles 2004/04/25 18:31:59

日本フォノグラム発売(71年)PHILIPS SFL-1326ポール・モーリア楽団演奏の黒い鷲45回転の解説には、Laurenceに捧ぐのローランスとは、バルバラの姪であるという記述がある。これは確か、ディディエ・ドコワンの「眠れローランス」というヒット小説とタイアップして作られた曲だと聞いている。とするとその小説の主人公がバルバラの姪だった????

実はこの「眠れローランス」と言う小説、日本でも映画化されているのをご存知?仲村とおる、後藤久美子主演、タイトルまでは忘れたけれど、後藤久美子がローランスを演じたことになる。劇中黒い鷲との関係からか、岸洋子さんが出演され「さくらんぼうの実るころ」を歌われた。これがまた最高に良かったのだけれど、なぜ「黒い鷲」ではなかったのか?私が創作話を書いているわけではない。皆さんツタヤでご確認あれ。フランス側の資料でdedie a LAURENCEのローランスに関した解説は無い。あまりにも当たり前ほどにヒットした小説だったのだろうか?
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discography


discography 投稿者: bruxelles 2004/04/25 18:10:45

discographyが一向に進まない。あれとこれは違うし、これとそれも違う。10種の資料を見て6回も破棄している。今日は、1967年にでた33回転Ma plus belle
histoire d'amourのところでstopしている。この日本の発売はなぜか11年も遅れて1978年とある。解説は蒲田耕二氏。
バルバラにとっての死とは、何十年ぶりかでナントに現れる放浪の父であり、・・ブリュッセルの大火で失ったわが子との対話である。・・そう言えば昔バルバラには子供がいて火事で死んだと言う噂があったっけ。ここから出ているのだろうか?

今年78年2月として、オランピアのステージの様子も書かれている。この3年間にバルバラは、リリー・パシオンの台本を書き・・とある。開演は86年、執筆開始は82年としても構想は78年に既にあったことになる。演出家を途中で換え、書き換えは数知れず制作費も関わった人数も膨大だと言う資料もある。初めからDepardieuを起用しようとしていたわけでもなかった。考えてみれば構想10年と言うことになる。彼女は何にとりつかれたのか?・・ツシマ氏がZENITHでご覧になったので、紹介文を依頼したけれど、OKがでるかどうか。皆さんも、一緒に期待しましょう。

バルバラの子供に話を戻す。新光社刊世界の名曲とレコード、シャンソン永田文夫著によると、・・学生の人形遣いと恋に落ちて、結婚し、子供もできた。とはっきり記述されている。P312をご覧あれ。

Biography


Biography 投稿者: bruxelles HOME 2004/04/23 17:53:49

履歴書やbiographyでその人を少しでも知った気になるのは危険だと常々思っている。知る手立てとしてはいいのだけれど、そこから間違ったイメージを間違った方向に創造してしまう場合もある。ネロとかサドとか則天武后、ネブカドネザル、誰にしても同じ内容から全く新しい人間像を浮かび上がらせることは、良くも悪くも可能だ。と言うのは表立った、しかも支離滅裂な言い訳で、本当のところ、biographyは苦手だ。私の手に負えるものではない。昔のBFがユリイカのプルースト総特集に記載したプルーストの年譜をみた瞬間、本来年譜とはこういうものだというイメージが強くインプットされ、私が関知出来るものではないと思い知らされているからである。少なくとも生い立ちや人間関係がわかる写真、書簡引用、何よりも必要なのは通り一遍ではない時代背景である。そして一見無関係な社会的事件である。

何かに特化したいろんなbiographyが欲しいと思っている。男性関係のみ、転居住居記録のみ,サイドミュージシャンのみ、stageのみ、TV出演のみ、レコード担当者のみ、等など。ごく短いものでいいので、広く募集したい。結果としての情報の列挙であっても、あなたの心を一度通過させ、いろいろな思案を起こさせたあとの、あなたの言葉で語られるミニミニbiography、たくさん集まって欲しい。
      応募お待ちしております。

来日シャンソン歌手第一号

来日シャンソン歌手第一号 投稿者: bruxelles HOME 2004/04/15 16:43:44

来日シャンソン歌手一番乗りは、誰?
1953年のダミアということになりそうだ。聴衆がどんな反応をしたのか想像がつかない。確か塚本邦雄氏が、当日の気持ちを物の本に書かれていた記憶があるのだけれど。待ちに待ったシャンソンファンが、大勢心ときめかせて駆けつけた記念すべき日だったに違いない。詩人の故吉原幸子さんが「グレコとかバルバラとか騒ぐ人も多いけれど、おそらくそれはダミアを知らないからだろう」というようなニュアンスの事を何処かでおっしゃられた。
ダミアの公演は53年5月3日、日比谷公会堂から始まり各地で10回開かれた。石井好子さんのナチュリストの初日は53年5月1日。来日直前ダミアは石井好子さんをトロカデロの自宅に招いて日本の様子を尋ねたらしい。本場のシャンソン歌手を見る側の日本人も初めてなら、来る側の歌い手も初めての日本。日本公演は大成功。ダミアにとって日本はどんな国に見えたのだろう。ダミア61歳。当時フランスでは38歳のエディト・ピアフが全土を席捲していた。数日前、越路吹雪がパリでそのピアフを聞く。ピアフを聞いて、私は負けた、私は泣いた、、、、と記述がある。
タイムラグ。そして時空を超えたシャンソン(ドラマ)がある。

Les Amis de Barbara


Les Amis de Barbara 投稿者: bruxelles 2004/04/08 18:09:37

5年目に入って、Les Amis de Barbara の会長が交代した。
il faut,quand on aime,partir au plus beau,je crois
(愛はその絶頂期にこそ、立ち去るべきだ)というバルバラの不倫(Amours incestueses)を引用してBernard Merle氏はAnne Guillot氏にバトンを渡された。

JudasとLine Andres


JudasとLine Andres 投稿者: bruxelles 2004/04/06 18:37:56

石井好子さんも歌っておられるJudas.原題はCome Giuda(ユダのように)という元はカンツォーネ。Lucienne Delyleの歌として日本に紹介された。Lucienne Delyleは日本でヒットした古いシャンソンのかなりの数を独り占めしている。Judasも実はLucienneではなくて、Mea Culpaでドーヴィル、シャンソン祭で優勝を果たした、Line Andresが創唱だとわかった。Line Andres.石井好子さんの御著作によると(さようなら私の20世紀。東京新聞出版局刊)”優勝した後、これでスターになれると心から祝ったのに、脂ぎったエジプトの金持ちと一緒になり芸能界から消えた”らしい。
勿論Judasとは、裏切り者の代名詞、イスカリオテのユダのことである

Capucines


Capucines 投稿者: bruxelles 2004/04/04 17:13:55

'54年9月Nicoleは3週間のオランピア公演。石井好子さんはリヨン公演。ただその前に’54年3ヶ月の公演をCAPUCINESでされている。
そしてこのCAPUCINESこそ、バラバラがナントを創唱した場所だ。CAPUCINESはオランピアの筋向いのCAPUCINES通りにある。1959年12月父親の埋葬時に、最初の4小節が浮かぶ。3年後の62年メロディーが浮かび始め1963年11月2日CAPUCINESで、書いて書いて書きまくる。1963年11月3日火曜日、母と妹、兄と弟の前で、完成したばかりのナントを、歌う。作品になるまでおよそ4年。CAPUCINESバルバラ初日である。家族を前にして胸に迫るものがあり、伴奏のFrancois Rabbath、バルバラが歌いだすまで、何度も何度もイントロを繰り返さなければならなかった。家族のほかにLuois Hazan,Deunise Glaser,Michele Arnaudがいた。ナントの創唱は、翌日すぐに人々の語るところとなった。
”ナントの成立過程について”は他日、articleに詳しく書きたい。
脱線ばかりしているので、articleの原稿が全然進まない。投げ出さないようにせめて、タイトルだけでも記して、自分への励みにしたい。タイトル予告:BARBARAの失声について

ドーヴィルのシャンソンコンクール


ドーヴィルのシャンソンコンクール 投稿者: bruxelles 2004/04/04 16:35:15

Nicole Louvierを自分なりに調べていて、面白い事実を発見。’53年ドーヴィルのシャンソンコンクールに於いて、ノエル・ノルマンがQui me delivrera(恋のとりこ)でグランプリ。作詞作曲したのがNicole Louvier.翌年の’54年、同コンクールに石井好子さんが「夜の塔」で出演、表現賞を受賞されている。この年のグランプリはリーヌ・アンドレスの「Mea culpa](夜は恋人)(日本でも大ヒットした記憶がある。)万一1年違えば、Mea culpaと
Nicole Louvierの曲が一騎打ちしていたことになる。’53年のグランプリQui me delivrera?は、Nicole Louvier の歌で、日本でも発売されている。この人、意外と日本でも知る人ぞ知る、だったのかもしれない。教えてくださる方はきっといらっしゃると確信する。

passionについて


passionについて 投稿者: bruxelles 2004/04/03 13:27:41

昔パリにいた時、水彩画を描いて、絵葉書にして友達に送ったらとても気に入られた。これ私にぴったりって。タイトルを特に気に入ってくれたよう。タイトルは、passionの欠如。どんな絵を描いたのか?

今articleの原稿を書くために、調べ物をしていたら、DALIDAの面白い発言に出会った。
Une passion ne dure pas toute la vie.Das le mot passion il y a passe.(passionは続くものではない。passionという言葉の中にはpasee,過ぎ去るという言葉がある。と。なるほど。ふむむ。
これはLUI,1969年12月号。より。
日本でも人気のあるFrancoise Hardy,Dalida,Barbaraの三人の座談会での発言。69年といえば、赤毛のダニーから端を発したパリ革命の時代。3人ともまだまだ若い。

barbaraファンの合言葉

barbaraファンの合言葉 投稿者: bruxelles HOME 2004/03/30 00:49:11

提案:忍者の山、川ではないけれど、バルバラファンが出会った とき、un beau jour,ou peut-etre une nuitと言うのを、合言葉にしませんか。これで唐突に友達が発見できれば、とても楽しい。世界共通の合言葉。まるでフリーメースン。フリーメースンごっこしましょう。

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